その他・雑記

働かなくても暮らしていける社会の到来で流行るのは哲学。廃れるのは資産運用業。

2022年11月9日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

なんだか最近、
すごい時代が近づいているなと感じます。

 

あっ、短期のスパンの話ではありません。
あるいは表層的な変化の類でもありません。

社会の成り立ちや、
世の中の構造そのものの大きな変化です。

 

 

具体的にはAI、人工知能の台頭です。

 

 

AIの機械学習能力が向上して、
高度なアルゴリズムを実装しながら、
AIが人間の生産活動をより実務的にサポートしたり、

また人がやっている知的生産活動の多くを、AIが代わって実施する「時代」が近づいていると感じるのです。

 

 

 

 

 

私たちがアルゴリズムを利用し、それを信用して、アルゴリズムに判断をゆだねるとは、一体どういうことなのでしょう?

 

ヒトの仕事量が減るということ。

高度な判断行為をアルゴリズムに代わりにやってもらうということ。

 

その結果、
ヒトには「余剰の時間」が生まれます。

 

 

一服思巡。

 

 

わたしの父は昭和35年当時、
住み込みで働いていた会社で
休みが「月2日」しかなかったと言っていました。

 

やがて毎日曜日が休みになり、
昭和50年代には土曜が半日勤務となり、

私たちは今、週休2日の世の中にいます。

 

 

が、これもやがて
『週休3日制』に社会として移行していくのでしょう。

 

どうして働く時間が減るのか?

 

それはテクノロジーの進歩で、
例えば100の仕事量を
より短時間に
より効果的にこなせるようになるためです。

 

 

もしかすると、
今中学生の子たちが「仕事」を始める頃には、

ワークライフバランス的にいえば、
『ハーフ・アンド・ハーフ』位になっているかもしれません。

 

 

 

 

 

 

3.5日の休み。
3.5日の仕事。  えっ?

 

 

AIが社会の主要インフラとなり、
100の量の仕事が
今までの1/5、1/10の時間で社会としてこなせるようになり、

 

かつ、人間ができるフィールド、
人間がやるべき仕事の範囲も狭くなってくると、

 

 

「鈴木さん。お疲れさま。
でも、もうそんなに働かなくても大丈夫。

 

会社の生産性は以前より上がっているし、
鈴木さんの給料も以前と同じように出ますよ」

 

という世界が
いつかはやってくるわけで・・。

 

 

人間がやるべき仕事は、

データとシステムを統合する類の作業、

そのメンテナンスや、
更新作業や
セキュリティ関連の保守が主になります。

 

 

究極的には、
システムそのものに携わる高度な知的労働者を除いては、人が働かなくても回る社会がやってくるのです。

 

もう、

1/10 仕事
9/10 余暇 みたいな・・。

 

 

 

 

たとえ仕事をしなくても、
ベーシックインカム的な『定期収入』が保障される世の中になったら、あなたはどうしますか?

 

 

働かなくても暮らしていける社会の到来は、文字通り人間の生き方を変えるでしょう。

 

遊ぶ(楽しむ)は怠惰であり、労働することが尊い。

そういう倫理観から解放されるわけです。

 

 

経済的側面を度外視した、
ほんとうに自らが楽しめる、夢中になれる「ナニカ」を持てるか・持てないかが、人生の『満足度』に直結する世の中に、いつかなるとわたしは予想します。

 

 

もしかすると、

昨今のFIRE現象って、
社会の『先行像』なのかもしれません。

 

 

仕事以外に時間を費やし、仕事以外に充実感を求める練習を、FIREした人たちは(無意識に)行っているのでは?

 

 

働かなくても暮らしていける社会の到来は、
お金を貯め、お金を増やすという行為の意味も炙り出します。

 

(もはや)お金を増やす意味が、なくなるわけです。

 

 

 

 

哲学が、
また流行るのではないでしょうか。

わたしの仕事は廃業なのでしょう。

 

1/10 仕事
9/10 余暇 の人生の到来は、

50年後、100年後、それとも20年後??

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