投資信託あれこれ

日本で投資信託が誕生して今年でちょうど70年。

2021年8月10日


こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

70年前の1951年6月、
投資信託がはじめて日本で設定されました。

最初は・・
証券会社が投資信託を運用し、
(かつ)販売もするという『兼業体制』だったのです(ナント。)

さすがにこれでは利益相反が明らかということで、
後年、投資信託の委託会社(運用会社)が設立されます。

 

日本で投資信託がスタートしたのは

国が政策として
「それ(投資信託)」を利用したかったため・・。

 

 

終戦後、GHQによって財閥の解体が行われ、
大量の株式が市場に放出されることとなります。
その受け皿として株式のユニット(ファンド)が必要だったのです。

(日本の投資信託は当初「日本株式」のみが組み入れを許されました)

最初は「単位型ファンド」という
運用スタート後は追加の資金投入ができない、
しかも運用期間「2年間」という短い短い信託期間でした。

(この単位型ファンドが基本「毎月」新たに設定されるというスタイルでした)

 

 

1961年には「公社債投資信託」がスタートします。
高度経済成長に向けて企業の社債発行が増える中、
安定的な引受先としてファンド(受け皿)が必要だったのです。

1980年に誕生した「中期国債ファンド。」

日本が高度成長 ⇒ 中成長化する中で
赤字国債発行が慢性化し、
「中期国債」の受け皿として中国(ちゅうこく)ファンドが作られます。

 

日本の投資信託の変遷には、
国の思惑と云いますか、
当時の「大蔵省の思惑」が見え隠れします。

また、個別株式との対比で言いますと、
投資信託は長らく「サブの商品」に甘んじていました。

 

証券会社では、

個別銘柄の知識を持ち、
その相場観と併せて、
企業の業績予想や裏ネタ?を
すらすらと諳んじられることが、優秀な営業マンの証しでした。

 

そう、株(かぶ)がメイン・・。

 

投資信託のほうは
言葉は悪いですが、
情弱な顧客に手数料稼ぎのために売るサブの金融商品だったのです。

 

 

こうやって振り返ってみますと、
70年の歴史の中で、

定時定額でコツコツ積立てましょうという『つみたて投資』が、広く一般化するのに65年はかかっています。

あるいは
投資信託が単なる利殖目的ではなく、
個人の『資産形成』の手段として長期にわたって付き合っていくもの。というメッセージも、

70年の歴史の中で65年位経った頃からようやく言われるようになったのでは?

 

そういう意味では、
日本の投資信託はまだ始まったばかりと云えます。

 

(投資信託を作る側、売る側の姿勢が
本格的に変わり始めたのは
「つみたてNISA」の誕生以降なのです・・)

 

日本証券経済研究所の杉田浩治さんの力作。
発足から満60年を迎える日本の投資信託
 ―その軌跡・現状と今後の課題―


  (ちょうど10年前の論文です)


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