虫とり小僧さんのツイートがマリアナ海溝のように深かった件
2021年7月2日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
わたしがツイッターが好きな理由。
それはTwitterが完全に『個人の世界』だからです。
大企業の社長さんでも、
その呟きの内容は個人の発露であり、
(呟く中身に)その人自身が反映されます。
ところで、
先日(6月29日)次のように書かせていただきました。
〇 安全 = 既知の、確定した事象に囲まれている状態
摩訶不思議なリスクというものを考えるうえで、
以下虫とり小僧さんのツイートに
「ムム。これは深いのぉ・・」と唸らされました。
「自分と同じ苦労をさせたくない」と親が子供を過剰に守り、問題を取り除き、レールを準備して能力以上の期待をかけることで、子供が弱くなり、自分で問題を解決する力を失い、期待のプレッシャーに押しつぶされてしまうパターンは珍しくない。親は良かれと思ってやっているだけに切ない。
— 虫とり小僧 (@mushitori) December 20, 2020
上記を読めば、
親が子に対し
できるだけ「安心・安全な状態」を保ってあげたいと願う気持ちが、ひしひしと伝わってきます。
しかし子のために
安全な環境を築いてあげすぎると、
かえって子どものポテンシャルに蓋をしてしまうことになる。
難しいですね。
別種のリスクを発生させてしまう、物哀しささえ漂います。
私見ですが上記ツイートは、
・あなた(主人)と
・あなたのお金
と置き換えても、
文脈的には通じると思います。
すなわち、
レールを準備して能力以上の期待をかけることで、
お金が弱くなり、自分で問題を解決する力を失う。
安心・安全な預金のカタチで手元に置こうとするが、
それがかえってお金のポテンシャルを損なってしまう・・。
難しいですね。
どちらにも共通するのは
『離す勇気』ではないでしょうか?
子どもの例でいえば、
セーフティーネットはしっかり敷いてあげるが、
しかし世の中は
未知の部分、不確定な部分=リスクに満ちていると、
子どもにも知らせ、そして自らも自覚し、
必要以上に『答え』を準備しない。
未知の部分、不確定な部分=リスクこそ、
『成長の機会』になり得るのではないでしょうか。
リスクを取り払ってゼロにしようとするのではなく、
・予見できるリスクを量り、
・それによってリスクへの対処法を決定し、
・半ばリスクと共存していくことしか、
私たちが生きる道はないと思うのです。
このような『リスクの相対化』を、
実は私たちは大なり小なり無意識に行っています。
・自身の経済力ではリスク発生に対し対処できないため、
・現存するリスクを保険契約によって移転させたほうが
今回リスクを相対化させることが
著しく欠如したのが、
新型コロナウイルスに対する対応ではないでしょうか?
リスクを合理的に計量しようとせず、
人の直感、ただただ怖いという「感情」が前面に出てリスクに対して過剰反応し、
その結果、特定の業種とそこに従事する人々を身代わり?として押し込める状況に陥ってしまっています。
まさに目を覆いたくなる状況です。
(おそらく今後数年で、大きなコストを私たちは支払うことになるのでしょう。)
リスクをゼロにすることは出来ないはずです。
リスクは可能性(ポテンシャル)と表裏一体なのです。
カテゴリ:投資の発想法