投資信託あれこれ

最初は荒削りだった投資信託たち・・

2021年6月5日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

何ごともそうですが、
初期の頃ってタイヘンなのです。

たとえば『弁護士』という職業は
明治時代になって整備されるのですが、

最初は『代言人』(だいげんにん)と
呼ばれていたのだそう。
(まったく新しい概念でした・・)

投資信託も
今日のカタチになるまで、
さまざまな変遷を経ています。

 

1900年代初頭のころ、
投資信託といえば
株式市場に上場するタイプの投資信託、
「クローズド・エンド・ファンド」が主流でした。

 

『株式市場に上場している?』

 

はい、そうです。

より正確にいうと、
株式市場に上場する『アクティブ・ファンド』ですね。

※ 当時はインデックス・ファンドという概念は存在しませんでした。

 

 

たとえばこんな一例です。

 

「ABCクローズド・エンド・ファンド」は
アメリカの成長株に投資を行うファンド。

 

この投資信託が運用を開始する際、
『口数』を区切って募集を行うのです。

申込みの期限が来れば、
そのあとの追加募集はなし。

その後「ABCクローズド・エンド・ファンド」を
売りたい人、買いたい人は、
株式市場を通じて取引することになります。

(今のETFっぽい?)

 

また当時はファンドの運用会社が基本、
ファンド資産も管理していました。

 

たとえば、あなたとわたしが
「ABCクローズド・エンド・ファンド」を運用するファンドマネージャーの二人だとしましょう。

ファンド内にはたくさんの資金が存在します。
数えてみると30億円くらいになっていました。

そこでわたしの中の『悪魔』があなたに囁きます。

「あのー、500万円くらい
僕たちが使っても分かんないんじゃない?」

 

 

実際、アメリカでは
運用会社がファンド資産を使い込む事件が何度も起こったのだそう。

(後年、上の反省をもとに、
「ファンドを運用する会社」と
「ファンド資産を預かる会社」を
分別することが義務づけられたのです)

 

問題点はそれだけではありません。

当時の「クローズド・エンド・ファンド」は
ファンド自体が多額の借金をして元手を増やし、
よりリスクの高い運用を行うことが可能でした。

それより何より、
「クローズド・エンド・ファンド」には根本的な欠陥がありました。

それは、

 

ファンドの『正味価値』と、
ファンドの『取引価格』がしばしば乖離してしまうこと。

 

 

一度、こんなふうに想像してみてください。

「ABCクローズド・エンド・ファンド」の
本当の価値(正味価値)って何でしょう?

それは、
「ABCクローズド・エンド・ファンド」が
組み入れる株式の時価、現金などを合計し、
そこから負債を引いて、それを総口数で割れば、
『正味価値』が算出できるはず・・。

ところが、です。

 

「ABCクローズド・エンド・ファンド」は
市場に上場する『銘柄』でもあるため、

マーケットの需給によって
『取引価格』が正味価値より高くなりすぎたり、
安くなりすぎたりしていたのです。

(投資家にとっては、
自分が適正な価格でファンドを買っているか否かがきわめて分かりにくい。)

そんな折も折、
繁栄を謳歌してきたアメリカ経済に突如嵐が吹き荒れます。

 

1929年10月24日から、
株式市場の大暴落が起こったのです。
(「暗黒の木曜日」です・・)

 

 

当時上場していた
「クローズド・エンド・ファンド」は、
多額の借金をして運用を行っていたため、

また、ファンドの「正味価値」に比べ、
ファンドの「取引価格」が高騰していたために、

いったん株式市場の暴落が起こると、
坂道を転げ落ちるようにファンドの取引価格は急降下し、
制御が効かなくなってしまいます。

この大恐慌を教訓にアメリカでは、

ファンドの『正味価値』のみをファンド価格とする、
「オープンエンド型のファンド」が台頭してくるのです。

【続く・・】

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