投資の発想法

投資を続けて良かったこと。→『先が分からない自分』を許せるようになった

2024年8月28日

 

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

現在、56歳です。
どこにでもいる普通の「おじさん」です。

 

わたしは
10代の頃は郵便貯金が好きで、
お年玉もせっせと郵便局で貯めていました。

20代はお金にだらしなく、
ツケ払いでスナックに通っていました。

 

30代になって初めて投資と出会いました。

 

 

 

 

 

投資に対する最初の印象は、

「えっ、なに、それ?」という
未確認物体に触れるような感覚でした。

 

 

投資のメカニズムが分からないというのも不安でしたが、

投資という行いをスタートしても、
『先のことが分からない・・』

 

つまり、
リターンが、
―プラスになるにしろ、マイナスになるにしろ、―

どんなふうに現出するか分からないという点がいちばん不可思議でした。

 

 

『先のことが分からないのが投資』。

 

自分なりにそう定義付けて、
安心しようとしていたのかもしれません。

 

 

最初から100%納得など出来るはずもなく、

自分を騙しだまし、
(恐る恐る)
投資を始めてみたのですが、

 

 

 

 

 

『先のことが分からないコト』を
身銭を切ってやってみると、

あれ?
これは(もしかすると、)
何かに応用できるかもしれない。と感じるようになりました。

 

 

具体的には、

『先のことが分からない投資』を
恐る恐る続けることで、

 

『先のことが分からない自分』を客観視し、
少し許容できるようになる・・という感覚です。

 

 

 

 

 

『先のことが分からない自分』というのは、

『ふたつの視点』に分けて
捉えたほうがよいかもしれません。

 

 

1.内面的に、
つまり「あなた自身」が
どう変わるか分からない。という意味。

 

 

2.外部環境としての
世の中がどう変わるかが分からず、
その結果「あなた自身」もどう変わるか分からない。という意味。

 

 

 

わたしは56歳のおじさんですが、
がんらい保守的な性格です。

 

ほんとうは、

『先のことが分からない自分』より、
『先のことが分かっている自分』を欲しています。

 

 

なるだけ安定していて、
波風がなく、

今、心地よいと感じる「自分」と、
今、心地よいと感じる「外部環境」に囲まれて、

 

できるだけ穏やかに、
規則正しく暮らしたいと願っている人間のひとりなのです。

 

 

 

 

 

ところが、です。

『先のことが分からない投資』を続けていると、

いやおうなしに、

 

「もうお手上げ」

 

「良いことも、
悪いことも、

自分の努力や思惑とは関係なく、
アットランダムにやって来てしまう!」

みたいな事態に何度も遭遇します。

 

 

実際、
リーマンショックの時は、

自分の新興国株式ETFや先進国株式ETFの価値が『フリーフォール』のように半分くらいに落ちてしまい、

口元が乾いて
心臓がバクバク鳴るのが聞こえるほど動揺していました。

 

 

 

 

 

投資をしていると、

どうしようもない事態が(残念ながら)発生してしまいます。
と同時に、一種、諦念のような感覚が育つという側面もあります。

 

 

そのことそのものが、

 

『先のことが分からない自分』に慣れる『練習』になっていたのでは?

 

と最近感じるのです。

 

 

たとえば、

東日本大震災が起こったときも、
物理的被害のことは「もう仕方がない」と諦めていました。

 

それよりも、

・家を片付けて
・ガス・水道が復旧したあと、

しばらく(世の中的には)気持ち的に暗い、自粛的な期間が続くのだろうと予想していました。

 

 

―地震からしばらくは、資産運用の相談なんて雰囲気じゃないだろうから、―

(わたし的には)
どうやって支出を抑えて、
当面の暮らしをどうやって成り立たせるか?

それを考え始めていたのです。

 

 

 

 

 

地震という予期せぬことが起こっても、
その出来事に翻弄されるのではなく、

それが落ち着いたあと、
『世の中はどう変わるのだろう?』と考えたわけです。

 

 

コロナが広まり始めた時もそうでした。

 

『先のことが分からない投資』をしている自分が、
2020年の4月上旬、

もう一人の自分を強く揺さぶりました。

 

 

リスクの大きさがまったく分からないときは、

最悪の事態に備えて、
最善を尽くすべきだ。

と、

強く感じさせてくれたわけです。

 

 

繰り返しですが、
『先のことが分からない自分』は、
ほんとうはイヤなものです。

 

 

『先のことを、なるだけ見通せる自分』になりたくて、人は学生時代から懸命に勉強し、なるだけ確かな企業に就職して、人生を安定させようとするわけです。

 

 

しかし、投資という行いを続けていると、

 

世の中も、
自分自身のことも、

結局、

『何が起こるか分からない。』

という諦観に近づきます。

 

 

 

 

 

分からないということだけが、分かっている。という感覚でしょうか。

 

 

わたしの場合、
家族の特殊な事情もあったのですが、

(コロナ禍が起こって)
2020年の6月には東京を離れ、もう徳島に引っ越ししていました。仕事の仕方も180度変えました。

 

 

大きなリスクが現出したとしても、
翻弄されるのみでなく、
起こったことを受け止め、
その後、波状で起こるであろう『変化』に、ただただ適応することだけを考える。

 

 

そういうマインドは
長年投資を続けてきたからこそ、身に付いたのだと思います。

 

そういう意味で投資には感謝しかありません。

 

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