100年ライフプラン

死を意識するのは恥ずかしいことではありません

2024年1月7日


こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

東京に住んでいた頃、
オフィスが港区芝にありました。
(最寄り駅はJR田町駅)

 

芝1~5丁目は都心にありながら、
下町的な雰囲気を残す町で
自治会の活動も活発でした。

事務所が入るマンションの一階には掲示板があり、
芝の自治会による「訃報」も貼り出されていたのです。

 

 

 

 

 

具体的にはこんなイメージです。

 

 

  『訃報』
芝3丁目在住の〇〇○○様が
平成29年〇月〇日に永眠されました。(享年89歳)
つきましては下記の通り通夜・告別式が執り行われます。
具体的な日時と斎場名

         平成29年〇月〇日
          芝3丁目自治会長 ○○○○

 

 

死は(思いがけず)身近にあります。

 

わたしは毎朝エレベーター横の『掲示板』を見て、

結果10年にわたり、
何百という訃報を知ることになります。

 

春、秋に比べ、
冬の1月2月3月は
訃報の頻度が上がりました。

(夏の7月8月もそう)

 

 

 

 

 

老いが恐ろしい。
死が恐い。

 

この感覚は人生の折り返し点を超えないと、
なかなか自分事として認識しづらいと思います。

 

死ぬなんて、
自分が無くなってしまうことですから、
そら恐ろしいことです。

 

しかし、老いも(そして)死も、
やがて訪れます。

何しろ人間の『死亡確率』は今のところ100%なのです。

 

 

逆説的にいえば、

人は「死」というエンディングを意識して初めて、
「生」の有難みを知るわけです。

 

 

 

 

 

よく言いますね、
今日が人生でいちばん若いんだよと。

 

残り時間は刻一刻と減っていきます。
(時間は決して止まったりしません。)

 

 

この、やがて無くなる時間の尊さを、私たちは他者の死によってしか、なかなか実感できません。

 

今年の年初は「死」について意識せざるを得ませんでした。

 

 

これから先の時間より、
これまでの経過時間のほうが長くなってしまったと気付いてはじめて、人は懸命に生きるようになるのでは・・?

 

何を隠そう、わたし自身がそうなのです。

 

道端に何気に咲く花に、
心を鷲づかみされるほどの儚さを感じるようになったのは、つい最近の話です。

 

 

 

 

でも、老いるとはそういうこと。

 

別に辛いことではありません。

死を意識するのも、別に恥ずかしいことではありません。

 

 

あなたの生活も、
お仕事も、
そしてお金(投資)のことも、

「死」というエンディングをしっかり意識してこそ、意味や輝きを増すのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

「死」の話をするわたしは、
「死」に囚われているわけではありません。

懸命に「生」を考えているわけです。

 

老いるとか、
死ぬということに、なるだけ『フタ』をしないほうがよいと思います。

これほど普遍的なことはないわけですから。

 


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