その他・雑記

人は二度生まれる。

2023年5月7日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

今日は投資とは関係のないお話です。

俗に、
人は二度死ぬと云います。

 

一度目は・・
生物学的に亡くなる。

二度目は・・
その人が世の中から忘れさられるという意味での死です。

 

 

実は「生」も同じです。

 

人は二度生まれます。

一度目は生物学的な誕生です。

 

子どもの頃をちょっと思い出してみましょう。
世界は一本の長い線のように単純で、無邪気さ100%で出来上がっていたのでは?

 

他の動物と変わりなく、
自分の親を中心とした
「わたし」を囲む空間が全てだったのです。

 

 

その評価の『物差し』は?
~自分が満たされているかどうか。~

 

 

わたしが満たされればニコニコと喜び、
わたしが満たされないと勝手に泣き出し、駄々をこねて悲しんだりしていました。

 

あなたも、おそらく同じだったはずです。

 

 

 

 

 

ところが・・、

いつの頃からか、
この単純な構図が崩れ始めます。

 

 

誰かが自分の内側を
ノックし始めるのです。

 

 

わたしの場合、
それは小学校6年生の冬でした。

親から初めて「一人部屋」を与えられました。

 

兄弟たちに邪魔されないプライベートな空間。
もう、ほとんど夢見心地でした。

 

おまけにクリスマスプレゼントで
カセットプレーヤーを買ってもらえたため、

一人きりで眠り、
一人きりで音楽を聴くことが出来ました。

 

 

 

 

 

そこは初めて見る「精神の広場」であり、
わたしはその扉を開けたのです。

 

夜。

真っ暗な中で
独りになると、

内なる自分が
大きく口を開けて待っているような、そんな感覚を抱きました。

 

「自分は独りぼっちなのだ」と初めて感じました。

 

親からも、
兄弟からも、
町内からも、学校からも、友だちからも離れているわたし。

 

 

夜、
カセットプレーヤーから音楽が流れて、

そのメロディーが
わたしの精神を押し広げ、

内なる自分の
こころの一つひとつの襞(ひだ)に、真水のように染み渡るのです。

 

 

 

 

 

人は生きて、
いつか死ぬ。

たった独りで長い河を渡っていくんだ・・

 

そんな、

子ども時代には感じることがなかったセンチメンタリズム(感傷)を、はじめて噛み締めたのです。

 

これがわたしにとっての二度目の『生』でした。
(思春期の始まりです)

 

 

人は、
二度目の生ではじめて「自分」になれるのではないでしょうか。

 

 

その後すぐにやってきた初恋のときなど、

わたしの内なる空洞は
たった一人の女の子に占領されて、
胸が締め付けられ、切ない気持ちでいっぱいになりました。

 

―食べ物が喉を通らない。―
という経験を初めてしました。

 

精神の広場はまだまだ狭いままで、
しかし、沸き起こる感情の容量が大きすぎて、自分で掬い切れなくなり、あーっと思わず叫んでしまいそうになる・・

 

これは二度目の「生」の痛さ、だったのでしょうか。

 

 

振り返ってみれば、

あんなにも多感で
不安定で
狂おしいような季節は、あの時だけなのです。

 

 

 

 

 

時が下り、
大人になって
辛いことや嬉しいことも経験しましたが、

 

あの、思春期の始まりの
振幅の大きさに比べれば、
「大したことないな」と思ってしまう自分がいます。

 

今から100年経っても、
若い人が経験する二度目の『生』は、愛しく尊いものであるはずです。

 

それは、誰にも奪えないものなのです。

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