インデックス投資の夜明け(世界初のインデックスファンドは旅行鞄メーカーの企業年金用だった)
2023年2月9日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
1970年のことです。
シカゴ大学の教授だった
ユージーン・ファーマという人が
『効率的市場仮説』(論文)を発表しました。
「えっ、何それ・・?」と思われる人もいるでしょう。
『効率的市場仮説とは?』
今あなたが見ている株価は
すべての情報を織り込んでいるから、
あなたが他者を出し抜いて
超過の利益を得ようとしても(それは)できないよ。
それくらい市場(マーケット)は効率的なんだよ。という考え方です。
もちろん現実のマーケットには、
非効率な部分、
まだ誰にも発見されていない「株価の歪み」も存在します。
しかし、今日では、
株式市場は(100%ではないにしても)
『おおむね』効率的であるという説が主流になっています。
インデックスファンド誕生の遠因となっているのです。
まず、
アメリカ西海岸の代表的銀行
「ウェルズ・ファーゴ銀行」のジョーン・マックーンに登場してもらいましょう。
実はジョーン・マックーンが、
シカゴ大学のビジネスマン向けセミナーで『効率的市場仮説』を学んだことが、インデックスファンド開発のきっかけと云われてます。
マックーンの「発想」はこうです。
他者を出し抜いて超過の利益が得られないのなら、
『市場平均』を金融商品化することは(案外)理に適っているのではないか?
なるほど・・・。
マックーンはシカゴ大学において、
同校のビジネススクールの生徒だった
チャールズ・シュウェイダーと接点を持ちました。
(シュウェイダー自身も効率的市場の理論に関心を持つ学生でした。)
マックーンから、
市場平均との連動を目指す商品開発の話を聞いたシュウェイダーは興味を抱き、父親に以下のような提言をしたと云われます。
「お父さんの会社の年金運用を、
市場平均との連動を目指す手法でやってみたら?」
実はシュウェイダーという学生は、
旅行鞄で有名な「サムソナイト」を経営するシュウェイダーさんの息子だったのです。
このような経緯でウェルズ・ファーゴ銀行は
世界初のインデックスファンドを組成するに至りました。
(「サムソナイト」の企業年金の運用として)
1971年7月のことでした。
当時はまだ、すべての投資が「アクティブ投資」だったわけです。
投資信託もアクティブファンドしか存在しなかった。。
そんな時代に、
(『けったいな』関西方面の方言。奇妙、珍しい、不思議なの意)
要は変人扱いされていたのです。
1971年、ウェルズ・ファーゴ銀行は
サムソナイト社の年金基金600万ドルをファンド化します。
ただしそれは、
ニューヨーク証券取引所に上場する全1500銘柄を「均等」に投資する、―すべての銘柄に同金額投資するーという手法でした。
(当時株式時価総額の大きかったGMもGEも、小さな会社と同じ金額だけしか投資しなかったのです。)
つまりは、市場の個別銘柄の構成比率を無視したものでした。今日では、これを「市場ポートフォリオ」とは見なしません。
まだ株式の売買委託手数料は自由化されておらず、株の売買には固定の費用がかかってしまいます。
そのため、ファンド内の全1500銘柄の『リ・バランス』をするのに多大なコストがかかり、結局ウェルズ・ファーゴの運用チームは1973年に時価総額の加重平均を保つ運用に切り換えます。
まさに大いなる『失敗』なのですが、
この失敗は1976年、
初の個人向けインデックスファンドを設定したバンガード社に受け継がれ、インデックスファンドは大いなる『成功』を収めることになります。
余談ですが、
上述したウェルズ・ファーゴ銀行の資産運用部門は後年、バークレイズ・グローバル・インベスターズ(BGI)に買収されます。
このBGIこそが「i シェアーズ」のブランド名を冠して、ETF(=上場インデックスファンド)のマーケットを切り開いた先駆者なのです。
このように、
ジョーン・マックーンとチャールズ・シュウェイダーが紡いだ細い糸は、時間という「ろ過装置」を経て、大きな華を咲かさせることになりました。
道具に歴史あり。
カテゴリ:インデックス投資全般