100年ライフプラン, その他・雑記

わたしにもありました、40代後半の憂鬱(ミッド・ライフ・クライシス)

2022年10月20日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

 

今日は個人的な話です。

 

それはなんと言うか、
「精神の穴」にすっぽり嵌ってしまうような体験でした。

 

 

 

 

45歳~50歳は
人生の踊り場であり、
正直、もう「頂点」は見えてしまっています。

 

そこからゆっくりと、
『人生』を下り始めるわけです。

 

 

わたしの場合、47歳の頃が
いわゆる「ミッド・ライフ・クライシス」でした。

 

ここまで年を重ねてきて、もう正直、
ギラギラした欲望とか、羨望とか、
ぜひとも掴み取りたいモノとか、

次はこれをやろう!
こっちの方面も試してみよう!みたいな『意欲』が失せてきて、

 

「別にいいや・・」

という気持ちが大勢を占めてしまったのです。

 

 

わたしは47歳の時に

ロボットが
電源を抜かれて萎えてしまうみたいに、
意欲全般(エネルギー)が急に枯れてしまいました。

(そういえば当時、無意味に髭を生やしたりしました)

 

 

あなたには、そういう経験ありませんか?

 

 

 

 

 

ある朝、目覚めた時に、こう思ったのです。

 

・・・・47か。
・・ホントに47歳なんだ。

 

 

もうこんな所まで来てしまって・・。

「時間だけが経ってしまったけれど、

一般的な47歳・男性の、
暮らしの中身、収入、
充実度、社会的ステータスと比べて、何なんだ、今の自分は??」

 

いや、もっと頑張れたのでは・・・
もっと高みに辿り着けなかったのか・・・

輝かしいイメージからはほど遠い・・

 

どうしてなんだろう・・ なんでなんだろう・・
何が間違っていたのだろう・・

「何をし損なったのか・・?」

 

 

 

 

なぜ「こちら」ではなく、
「B」の方向を選択しなかったのか?

 

『後悔』という名の海をさまよい、『前方の道』は既に途絶えてしまったかのように、過去のこと、昔のことばかり振り返ってしまう。

 

 

変えることが出来ない過去を
勝手にぐるぐる回って、
いろいろと考えてしまい、
あらゆる結果に『落胆』してしまうのです。

 

 

わたしの場合、
その落胆さえも長くは続かず、

 

しばらくすると、
それまで経験したことがないような『無力感』が襲ってきました。

 

 

 

 

 

チカラが入らないのです。

白いベールをまとっているように、
下界のすべてがぼやけて見えるのです。

 

 

なにも、
やる気が
起こらない。

 

 

一時期けっこう深刻でした。

日比谷の映画館で
丸1日過ごしたことも一度や二度ではありません。

 

 

わたしはその時
心の中に「痛み」を抱えていました。

人生という道程で
ここ(47歳)まで来てしまった・・

 

もう過ぎた日は取り返せない・・

それは言いようのない『喪失感』でした。

 

 

47歳にもなれば、
社会システムの中で、
オモテもウラも、両方知り得る年齢です。

 

ある時わたしは、
ウラ側にある『理不尽な問題』に対して、

若い時ほど憤りを感じていない、

どうにかしないと!と、
自らを奮い立たせたりしない「自分」に気付きました。

 

 

氷のように固く冷めて、
完全に諦めてしまっている「自分」を発見したのです。

 

 

「しょうがないでしょ。」

「所詮ひとりの人間に出来ることなんて限られてるし。」

 

 

 

 

 

その諦念をまとった目が、自分自身をも見つめ、

「あんたなんて意味ないでしょ。」
「これからの営みに何があるの?」

みたいに囁くのです。

 

 

そして今まで知り合ってきた人達も、
冷めた目で見るようになってしまう。

どうせ、何やっても(反応は)同じでしょ。

みな、こっちのことは
(自分が思うほど)気にしていないんだし・・。

 

こういう思考に支配されると
どんどん『虚無感』が募ってきます。

 

「いきる?」

「仕事する?」

「何の意味が・・?」

 

みたいなループに陥るわけです。

 

 

わたしは自分で経験してみて思ったのですが、

ミッドライフクライシスは、
誰にも起こり得ることではないかと。

 

まさに、人生の真ん中の危機、なのです。

 

 

 

 

昔のように一生が60年くらいで終わるなら、
このような危機にも、
騙し騙し付き合えばそれで済むかもしれません。

 

 

しかし今は「人生100年」ですから、
ミッドライフクライシスを上手く乗り越えないと、
たっぷりある人生の「後半」が色褪せてしまうリスクがあります。

 

 

もしも仮に、
わたしと同じ『症状』を抱えている人がいるとしたら・・・。

わたしはこう申し上げます。

 

 

人生のピークを過ぎて

『下っていく』ことも、

また「いとをかし」なのです。

 

 

 

 

別に、人生を懸命に上っていた時期を懐かしんでよいと思いますし、経験してきたさまざまな情景を反芻するのもよいと思います。

 

 

だけれど、
『下り』は長いです。

 

私たちのイメージ以上に長い時間が横たわっています。

 

人生の『下り部分』は、
日本的美意識で言えば、

物事の「わび」「さび」
初めて実感できる時期でもあるわけです。

(そこには、上りにはない「下り」ならではの渋い情景が広がっています。← ホントです)

 

 

 

 

何もない静けさに余韻を感じて、
枯れゆく草木に時間の経過を感じて、

それら自然現象に、
老いゆく自分を重ね合わせてみる・・・

 

 

「現に衰えつつあるのだ。」と実感することもまた、「生きる」ことの一形態なのだと、きっと感じられるようになります。

 

 

ひとつの行いと、
もうひとつの行いの間にある、
深い行間は、

年を重ね、
人生の『下り』に入らないと、
なかなか気づきにくいものなのです。

 

 

まあ、気長にやっていきましょう。

 

 

ちなみに、
わたしが47歳のミッドライフクライシスを乗り越えられたのは、パリのおかげです。

 

 

 

 

フランス旅行に行ったら、
きれいに治ってしまいました。

(このあたり、単純な昭和の男「キャラ」なのです(笑)

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