その他・雑記

『建築家 安藤忠雄』で学んだこと

2022年9月17日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

人生は
成功と失敗で
「〇」「×」みたいに仕分けがされるわけではありません。

まして「成功」こそが人生の目的だなんて、
あまりにも短絡的すぎます。

 

(もちろん社会的な成功によって、
自身の主張が広く世間に認知されるなら、それはそれで意味のあることだとは思います)

 

 

 

 

例えば、たまに見かけますね。

 

「○○さんは□□で成功した!」とか。

 

上記文章は過去形ですが、
これってちょっとヘンだと思いませんか?

 

なぜなら人生はこの先も長く続くため、
(今は成功しているように見えても、)

その後、落ち込んだり
失敗したりすることも、
可能性としてはあるわけです。

 

逆もしかりです。

カン・チュンドは失敗した。
負債を抱えて事業を畳んだ。

ではなく、

カン・チュンドは今、失敗している。

と(取りあえず)形容すべきでしょう。

 

人生時間は長く、
これから先「形勢」が変わって、また盛り返す可能性もあるわけですから。

 

 

死ぬまで何が起こるか分かれへん。(関西弁)

 

 

人は自分の未来を
カンバスになぞらえ、
なるだけ輝かしい『絵』を描こうとしますが、

本人の思いとは裏腹に、
ミライの実像は不規則なアップダウンを呈します。

 

それはちょうど資産市場(マーケット)のアップダウンと似ていて、「喜んだり」「悲しんだり」を現出するのは、人生も 投資も同じです。

 

 

わたしは
気持ちが落ち込んだ時など、
書籍『建築家 安藤忠雄』を読み返します。

 

 

 

 

人生に“光”を求めるのなら、
まず目の前の苦しい現実という“影”をしっかり見据え、
それを乗り越えるべく、勇気をもって進んでいくことだ。

 

 

情報化が進み、
高度に管理された現代の社会状況の中で、
人々は、「絶えず光の当たる場所にいなければならない」という強迫観念に縛られているように見える。

 

私は、人間にとって本当の幸せは、
光の下にいることではないと思う。

 

その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、
無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。

 

何度読んでも、癒されますw

 

 

 

 

 

人の生に
唯一確かな『結果』があるとすれば、それは「死」です。

その大きな帰結に比べれば、

一時的に失敗したように思えることも、
一時的に成功したように思えることも、

「かりそめ」に過ぎません。

 

安藤さんが仰る通り、
二度ない人生なら、

懸命に走っている過程(プロセス)こそが、
生きている姿そのものなのでしょう。

 

もちろん、
わたしはもう54歳になるので、

19歳の時のように
「ただ懸命に走ればよい」と言いたいわけではありません。

 

 

 

 

いくら努力しても
『結果』が伴わないことはいくらでもあります。

懸命さ(=努力をする)の中身を検証して、
努力のしかたを工夫し、

努力の在りようを
常にアップデートしていく必要があるでしょう。

 

「プロセスの中に真実がある」のは、資産運用もまったく同じです。

光を遠くに見据えて、
そこに向かって進む姿が尊いのです。

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