カップヌードルの価格が上がるのは基本良いこと!(人類の歴史はインフレーションの歴史です)
2022年7月4日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
今20代、30代の方は、
暮らしの中で『物価』が上がっていくという体験を、
ほとんどされたことがないのでは?
この20年超、
日本では物価上昇(インフレ)が起こらず
モノやサービスの値段は同じか、やや下がり気味でした。
デフレ気味の20年超の勝者は?
「100円ショップ」でしょう。
(100円ショップ『ダイソー』の2020年3月期の売上高は、
前年同期比5.4%増の5015億円にもなります。)
ただ振り返ってみると、
この20年超が「アブノーマルな時期」だったのです。
「2%台」の上昇になりました。
メディアは物価上昇(インフレ)を大げさに、
かつネガティブに伝えていますが、
ちょっと『基軸』がズレています。
モノやサービスの値段は上がり続けてきました。
(では、)ほどよいインフレはなぜ起こるのか?
ちょっと分析してみましょう。
まず前提として、
『消費者』にワクワク感がある、
より良い商品、サービス求める根強い「需要」があることが大事です。
企業はそれに応えるため
創意工夫を繰り返す。
より良い商品やサービスを提供し、
モノやサービスの「価格」を引き上げます。
それらが支持され、
たくさん売れて、
利益が増えると、
(その企業の従業員にも)ほどよい賃金上昇が起こります。
すると従業員の購買力が向上。
→また「より良いモノを買いたい!」という『好循環』に入る。
マイルドがインフレが続いていると、
「早く」買わないと、
値段が逓増していくという意識が芽生えます。
マイルドなインフレは、
過度な貯蓄よりも、
消費するマインドを醸成してくれるわけです。
上記の『好循環』が続くことで、
名目ベースで見た経済の「パイ」はどんどん拡大していきます。
おそらく、
中国とかタイとかがそうだと思いますが、
この10年~20年で
給料が3倍、4倍になったという事も(また)事実なのです。
ですから、
インフレーションは(基本的には)良いこと!
インフレは人類の発展の成果なのです。
従って私たちは
カップヌードルの価格が上がることも
喜ばないといけないわけで・・・・。
「えっ?」
現行の193円から214円に値上げされました。
カップヌードルは1971年に
100円で売り出されました。
当時の即席めんは
だいたい25円から30円の価格帯だったため、
「100円ってちょっと高いんじゃないの?」
と揶揄されたそうです。
カップヌードルの価格は、
この51年間で約「2倍」になっています。
(これは日本の物価上昇率と概ね同じ)
「もしも、です。」
今でも『カップヌードル』の価格が当初の100円のままだったら = 物価上昇がまったく起こらなかったら、困ったことになっていたはずです。
1971年のまま。
1971年のまま。
企業の収益が伸びていない。ということは、
株価も(1971年から見て)上がりようがありません。
日経平均株価も、
タクシーの料金も、
住宅価格も、
配偶者のヘソクリも、
みんな1971年当時のままだとしたら、それはもうえらいことです。。
現在、欧米で続いている『高インフレ』は、
いくつもの要因が重なった結果です。
コロナ後の、
ダムが決壊したような需要の爆発。
対してコロナ、ウクライナロシア戦争を経て、
目詰まりを起こしている供給側。
この両者のミスマッチが物価上昇のエネルギーを点火させてしまっている状態。
ここから
ちょっと長い目で見ます。
今後も『デジタル社会』は進行します。
モノ、サービスを産して流通させるためのコストは逓減し続け、それらの価格は「安定化」する可能性が高いです。
また『高齢者』が主役の社会にどんどん移行していきますから、
「需要」だけが飛び抜けて伸び続ける、ということも考えにくいです。
そう遠くないうちに、
マイルドなインフレーション(年率2~3%)に戻っていくと考えます。
日本においては逆に、
デフレに戻ってしまわずに、マイルドなインフレを果たして『維持できるのか?』という命題が突き付けられます。
日本の消費者は、
1円でも安いことが善であるという「価値観」から抜け出す必要があるのではないでしょうか?
「ちきりん」さんのツイートに考えさせられました。
小売店は本当にこれが「お客様のため」になると思っているの?
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) July 3, 2022
こんなことしてたら残るのは、衛生管理にも安全管理にもいっさいお金をかけないトンデモ食品会社だけになってしまう。
消費者はそれを「安くていいわー、あのスーパー!」とか言って支持するの?
企業側は原材料が値上がった分は、商品価格に転嫁させるべきですし、
逆にそうしないと、安全のための管理体制や、設備投資や、従業員の賃金を維持するために「お金」をかけられなくなってしまいます。
(1円でも安く!という消費者側の要望が、企業側を疲弊させてきたのが、この20年超のデフレ社会なのではないでしょうか?)
先ほどカップヌードルのところで、
1971年に「100円」で売り出された旨、説明させていただきました。
当時、
「この価格は高いんじゃないの?」と冷めた目で見られていたわけです。
が、今思うに、
21世紀のカップヌードルの如く、
少々高くても
私たちの知的好奇心を刺激してくれるモノ、サービスの出現も待たれるところです。
人間というのは(本当は)お金を使いたい生き物なのですから・・。
カテゴリ:経済よもやま話