残り時間が少なくなると果敢に行動するようになる?(波平と同い年のおじさんの雑感)
2022年6月20日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
わたしは来年「55歳」になります。
年を重ねると
明らかに身体的な「変化」が起こります。
体が硬くなったり、
眠りが浅くなったり、
脂っこいものが食べられなくなったり、
疲れやすくなったり、
単語(名前)がなかなか出て来なくなったり、
誤嚥しやすくなったり・・。
挙げればキリがありません(><)
これらは生物としての老化現象であり、
誰にも止めることは出来ません。
わたしは努めて毎日歩いているのですが、
(たまに登山、)
これも健康のためというより、
老化のスピードを
なるだけ遅らせようとする抵抗のひとつなのです。
自分の可能性を狭めていくこと・・。
えっ!と思われるかもしれませんが
これは歴然とした事実でしょう。
おそらくこれから先、
タップダンスを習うことはないと思います。
辻製菓専門学校に通うことも多分ないでしょう。
なぜなら、
自分がやるべき事の「方向性」は明確になっており、寄り道する時間もあまりないためです。
それが老いるということの本質。
こんなふうに書くと、
「やっぱ若い頃のほうが良かったね。
何にでもなれたんだから・・」
という声が聞こえてきそうです。
既知に囚われず、
エネルギーに溢れ、
物事を大きく旋回するパワーを有するのは、若者のメリットです。
が、
わたしは
20代の頃に帰りたいとは思いません。
ちょっと暗い青春だったせいもありますが、
年を取ることで
わたしは初めて「真面目にやること」を覚えたためです。
??
若い頃の、
圧倒的な躍動感を懐かしむ気持ちはたしかにあります。
が、
若い =「何にでもなれる状態」というのは、
同時に「何にもなれない・・」「何に対しても没入しづらい」面も持ち合わせています。
自分の知識量に対して、
(若さゆえ)感情の起伏が大きくなってしまうため、
無限に広がる時間の中で、
もう『悩むこと』が仕事になるくらい、
色々なことに「悩んでしまう」わけです。
実際わたしがそうでした。
ヘンな日本語になりますが、
悩む時間が潤沢にあるから、悩みに傾斜する・・
それが若者の特権でもあるわけです。
※逆に若いうちに「悩む」を経験しないと、人生はのっぺりとした予定調和な時間の連続になってしまいます。
年を重ねてくると、
「悩む時間」も少なくなってきます。
あれこれ悩むよりも、
自分がやるべきこと、やりたいことを「さっさとやっていかないと・・」と思ってしまうためです。
素早く果敢に『行動』するようになります。
これが年を取ることの効用です。
誤解がないように申し添えると、
わたし(54歳)の寿命はまだまだ長いかもしれません。
健康寿命も、身体の管理に努めることで延ばすことが可能でしょう。
が、なんと言いますか【知的活動・持続時間】というものは、
自分が思っているほど、
長くは残されていないと感じるのです。
わたしの仕事でいえば、
(カウンセリング)でしっかり聞き取りをして、価値あるアドバイスを提供できるか、
ただ事実に則るだけでなく
既知の情報をまとめ上げて、
自分の「論」として、このブログなりで(独自の考え)を展開して書けるのか?
そういう類の「知的活動」ができる期間が、
もしかすると
(思っているほど)長くはないという「焦り」があります。
年を取ると、
自分がやるべきことを真剣にやるようになる。
これも、
実際年を重ねてみないと分からないものなのですw
日々これ一生。
カテゴリ:100年ライフプラン, その他・雑記