京都・龍安寺にある「吾、ただ足るを知る」から学ぶ
2022年3月26日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
カウンセリング実施前に
『ご質問・ご要望事項』をお送りいただくのですが、
時期、時期で、
相談者さまの空気感のようなものが異なります。
たとえば、
投資の期待リターンのところ・・。
マーケットの低迷期には、
(2010年とか2011年、
2015年や2018年頃には、)
「現実的な希望」をしたためる人が
多かったように感じます。
たとえば、こんな感じ。
過大なリターンを求めているわけではなく、
年に3%~5%くらいの収益があればいいと考えています。
これって、
分(ぶん)を知る、
ということではないでしょうか。
分(ぶん)とは
「本分(ほんぶん)」のこと。
あなたが出来ること、
あなたがほんらい果たすべきことを指します。
たとえば、
「年に3%~5%くらいの収益」ということばは、
あなたが
あなた自身のことを知っていないと(なかなか)出てこない言葉では?
あるいは、外の世界の『現実的な色』を知っているからこそ、
「年に3%~5%くらいの収益」という言い様になるわけです。
「これくらいで充分。
これで良しとしよう・・」
このような、
事の把握のしかたって、
『インデックス投資』そのものだと思います。
(そもそもインデックス投資は
「平均でOKです!」と言い切っている投資手法ですから(笑)
もう5年近く前になりますが、
妻と一緒に京都の龍安寺に行きました。
そこには
(有名な『石庭』もありましたが、)
わたしが感動したのは、
以下の蹲踞(つくばい)です。
吾
知 口 唯
足
口(くち)という文字が真ん中に鎮座して、
4つの漢字の、
共通の『部首』になっているのです。
時計回りに読みますね。
すると、
「吾 唯 足 知 (われ、ただ足るを知る)」となります。
(このつくばいそのものがアート!(^^)
私たちは
投資という行いを通じて、
日々、
自分の「足るを知る」と格闘しているわけです。
片方では「もっと!もっと!」という欲を諌めるあなたがいます。
逆に「さらにさらに・・」という不安を、
うまく飼いならそうとするあなたもいます。
(わたしもこの20数年、
投資家として「もがいて」きました(^^;)
「ここだ。」
「この辺りで充分。」と、
満ち足りることができる精神の在り様とは、
〇 市場を理解し
分かったあとに訪れる
インデックス投資は
日本人が昔から持っている『メンタリティ』に、
とてもフィットしているのです。
誤解を恐れずに言えば、
日本人以上にインデックス投資にマッチする人もいないのでは・・。
「吾 唯 足 知 (われ、ただ足るを知る)」
わたしが最も好きなのは「唯」です。
と、良い意味での限定に使われたりします。
投資の底辺部分の目標とは?
ただ、現在の生活レベルを年老いても維持したいだけ。
そのために(まず)投資は存在するのです。
カテゴリ:インデックス投資全般