世界投資的紀行

アジア放浪の思い出(インド編)

2021年9月10日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

そのむかし就職もせず
世の中の端っこで生息していたわたしは、
20代の一時期、インド・東南アジアを放浪していました。

今わたしは53歳ですが、
「自由にそういう旅をしてもよろしい!」と言われても、到底できそうにありません(笑)

当時はお金はなくとも好奇心だけは旺盛だったのでしょう。

 

インドには4ヵ月滞在しました。

その頃の空気感のようなものが
自分の体に未だに染み付いていて、

たとえば「イク チャイ ディジエ」(チャイを一杯ください)というヒンディー語は忘れることがありません。

1992年ムンバイの空港に降り立ったとき、
空港の建物の周りは地べたに寝ている人たちで一杯でした。

バスで市街地に行くまでの間、
小高い丘に向かって巨大なスラムが連なっていました。

 

どの町に行っても「牛」が我がもの顔で歩き、
砂ぼこりが立ち込めていました。

すべての人が民族衣装を着て、
列車に乗る時はまさに人の洪水状態・・。

リキシャや荷車やバイクの音が、
大きな声で交渉する商人の声にかき消されます。
人々の体臭と香辛料が充満した風景を、昨日のことのように思い出します。

 

またワーラーナシーでは、
死者が火葬されその灰をガンジス川に撒くまでの様子を、飽きもせず毎日毎日眺めていました。

 

 

行者は死者を運ぶ際、たしかこう言っていました。
「ナッマナッマサタヘー」

 

遠い昔の「点」で見ても、旅は十分面白いものです。

 

が、本当の面白さは20年後にやって来ました。
(わたしは期せずして20年後にインドを再訪します。)

 

新興の住宅地サウスデリーにやってくると、
メルセデスやBMWがふつうに走っていました(牛はいません。)

 

ジーンズを履いたカップルが手を繋いでカフェに入ってきます。二人はじゃれあいながら今にもキスをしそうな雰囲気・・(20年前は公衆の場で手を繋ぐことさえご法度だったのに。)

またネット証券では、モニターを見ながら株取引をしているインド人が大勢いました。

 

 

リキシャの代わりに自動車が道路を占拠して、今やデリーの名物は排ガスによるスモッグとなっていたのです。

 

『二十年の変化の凄まじさ・・』

 

 

「旅」の醍醐味は、
その地を長い年月が経ったあとに再訪し、
自身の記憶の中で『変化』の一大活劇を観られる点にあるのでは・・。

 

また一投資家として、
『経済成長』が人の暮らしをこんなにも変貌させるのだと実感することが出来ました。

 

あっ、ちょっと言い間違えましたね。

経済成長が「変化」を生むわけではありません。
「変化」こそが経済成長を醸成するのです・・。

 

以下、インドの「SENSEX指数」長期のチャートです。

 

 

もしあなたがまだお若いのなら、
新興国に行かれることをお勧めします。
変化の一大活劇は(人生の中で)そうそう観られるものではありませんから・・。

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