100年ライフプラン

初恋の人と41年ぶりに会えたなら・・

2021年4月13日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

「初恋。」

こうやって文字にして書くだけで、
なんだか甘酸っぱい、切ない心情になったりします。

ここにわたしは告白しますが、
わたしはFacebookで初恋の人を検索したことがあります。

 

 




(その人はフェイスブックはやっていないようでしたが・・)


もしもなにかの魔法があって、
「初恋の人」に会えるとしたら、あなたは会いに行きますか?

えっ?
かけがえのない思い出が壊れるかもしれないから(やっぱり)会わない?
いや、せっかくの機会だから、会いに行く?


わたしはこう見えても臆病なほうで、
もしも初恋の人の現在を見てしまったら・・
やっぱり落胆するかもしれないと思うとちょっと怖いのです。

落胆?

だって41年ぶりですから・・。
面影がぜんぜん残っていなかったりする可能性もあるわけで。。

「カンさん。自分のことを棚に上げて!
落胆するとしたら向こうも同じよ!」


あっ、ハイ、それはたしかにそうですね・・。


やっぱりやっぱり考え直して、
わたしは初恋の人に会いに行ったとしましょう。






わたしは今年53歳で、その人も同い年で53歳。
いったいどんな話をするのでしょう?

間違っても
東京オリンピックの話とかはしないでしょう。


家族の話とか、仕事の話とか・・。
当時(わたしの初恋は小学校6年の頃)の思い出とか。

担任の先生のこと?
いや、友だちの名前を確認しあったり。

あるいは、
4人で映画を観に行ったときのことを話したり・・。




いろいろ巡りながらも結局は、
「今はどう?」

へえー、そうか。けっこう幸せなんだ。

それは良かった。。

みたいなところに落ち着くのではないでしょうか。


41年ぶりに会って
その人に何かを聞くということは、半生をかけた『質問』になるわけです。


相手も同じですね。


些細なことは霧散して、
時事や表層的な話題ははただのノイズとなり、

互いの会話は、
ギュッと本質部分に凝縮されそうな気がします。


「それで、どんな人生だった?」と。


わたしは思うのですが、

50も半ばを過ぎて初恋の人に再会したなら、
「どんな人生だった?」と問うことは
それほど的外れなことではないと思います。

私たちの『寿命』そのものは延びていますが、
人生がどんな方向に向かうのかを決する、
その時までの『期間』は、
(実は)そんなに長くはないのです。

 





言い方を換えると、

私たちは『変化の芽』を自ら育て、咲かせようと努めない限り、可能性の「間口」は知らぬ間に、どんどん狭まってしまうということ・・。

初恋の人を想起することは、
あなた自身のライフを
過去も未来も、
一直線の『道程』でイメージすることにつながります。

 


その長い道筋のいちばん低いところ、
薄いがまっすぐに、
文字通り「土台」として存在するのが、経済的基盤という名のインフラです。

その土が、
より堅固により長持ちするために「資産運用」は存在するのです。


今は亡き邱永漢さんは
生前こんな言葉を遺されています。

手っ取り早く言えば、棺桶に蓋をした時に、
「いい人生でしたねえ」と言われるために、
一生を賭けているようなものである。

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