お金の摩訶不思議

お金を用いる → 貯める → 増やす → 育てる → 還す? その2)

2021年4月9日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

<今日のお話は、3回にわたるシリーズ記事内の1本です。>

 


『健全な欲』は、お金を円滑に回す原動力となります。
1878(明治11)年、日本ではじめて証券取引所が創設されました。

明治になって身分制度が廃止されると、
社会の中で少しずつ「経済」が重きをなしてきます。


時代がくだり第1次世界大戦が始まると、
『大戦特需』というものが発生しました。

株をやる人が増え、
商品取引が盛んになり、
また当時は洋行がブームとなって、

作家・詩人の金子光晴は
「ねむれ巴里(パリ)」という自伝を遺しています。


(余談ですが、上記書籍の中では
「円」が当時のフラン(フランス通貨)に対して相当に高かった記述があります)


昨日こちらの記事で、
お金を「用いる」→「貯める」のお話をしましたが、

日本人は大正の頃から
少しずつお金を【増やす】を覚え始めます。


「用いる」→「貯める」→「増やす」

増やすとは?

「自分の欲のために、
お金の価値を増大させようとする行為。」

 




そこには何と言いますか、
自身の前途に対する独特な【浮遊感】が存在するのではないでしょうか。

「スゴイなぁ。いろんなことが出来そうだぞ!」

 

健全な欲の発露は、
世の定めに従っていた人生から、
自分で切り開くことができる人生への『転換』を象徴しています。

そこには
もっと○○が欲しい!
あるいは□□がしたい!
あれもこれも実現したいなあー!という「ストレートな欲求」があり、

その欲求が叶えられるかもしれないという予感が、
地面から10センチほど浮くような「浮遊感」となって現れるのです。

(そしてお金を増やすことは、この健全な欲と密接に関連しています。)


たとえば、今のポーランドやベトナムでは、

〇 ワタシ、こんな家に住んでいるの。
〇 オレ、こんなクルマ買ったんだ。


と、

 


 

所有物の豪奢さを何の屈託もなく口外できる、一種のすがすがしい上昇志向があります。

なにしろ、たかだか20年、30年前は
お金を貯めるだけで精一杯だったわけですから!

 

 

また、わたしもあなたも、
お金を増やす過程では、
人生の『間口』がすっと広がるような、ドキドキ感を体験したりもします。

もちろんこの段階では
自分の欲を制御するのが難しく、

さらなるリスクを取って「お金を増やす行為」を失敗させたり、
積み上がったお金を「遊興費」に使ってしまうということも起こります。

 



改まって考えてみますと、
【増やす】という行為ほどストレートで原始的なお金に対する欲求はないのでは?

 

これまで堅実にお金を【貯めて】いた人が、
急に【増やす】に目覚めることで、性格が豹変することがあります。

(いや、今まで隠れていた「アニマル的な相貌」がぬっと姿を現すのでしょうか?)


そういえば、日本でもありましたね。

一般大衆が【増やす】という行為に雪崩を打った、
昭和62年の「NTT株式売出し」はその典型でしょう。

 



・・まさに皆が一列に並んで
早急な成果を求めた現象。

(ここだけの話ですが、わたしの母も勇んで買っていました(><)


わたしはなにも【増やす】という行為を否定したいわけではありません。

熱狂やギラギラはあるにせよ、
多くの人が「お金を増やす機会」に恵まれるのは、

人が豊かになった証拠であり、基本的には素晴らしいことだと思います。


たとえば、貧しい家に生まれながらも、
自身の才覚と努力で「定期的収入」を確保し、

そこから、株式、債券、不動産などの【資産】にお金を変換させ、
その価値を高めようとする行為は、

ヒトとして明らかに『新しい類の経験』です。

 



ただし、お金を増やすという行為は
『用いる』『貯める』という行為に比べて
それを実行してきた「期間」があまりに短いため、まだ『ぎこちない部分』があるのです。

そのためお金を増やすという所作の中では、
人の「善」と「悪」がまるでグラデーションのように垣間見えたりするのです。

 

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カテゴリ:お金の摩訶不思議

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