投資信託の生まれは?これすべて国の政策なり
2021年3月7日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
ヒトは「環境」によって作られます。
社会のあり様は「政策」によって形作られます。
よく『1940年体制』と言われますが、
これは戦時経済のしくみを指す用語ですね。
家を借りる人の権利が強化されたのも『1940年体制』によります。
(兵隊さんが帰ったときに住む家がなくなっていたら困りますから。)
郵便貯金が奨励されるようになったのもこの頃です。
(戦費の調達のためです)
また、源泉徴収制度もそう(所得税徴収の効率化→戦費調達)
以下は藤野英人さんの
『ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義』に詳しく書かれていますが、
もちろん国民から「こういうツールを作って欲しい!」という要望があったためではなく、
国が投資資金をまとめて管理し、
軍需などの重点産業にお金を回りやすくするための道具として作られたのです。
(当時投資信託の管理は、大蔵省の規制が及ぶ証券会社に委ねられました)
戦争が終わり、
日本が復興に向かう中でも「貯蓄」が奨励されましたね。
(これは企業の設備投資意欲に応えるためです)
あるいは投資信託のフィールドでも次々と新たな商品が作られます。
日本が高度経済成長期に入る中、
企業は社債発行による資金調達を活発化させます。
しかし、社債の買い手を確保するのが難しいため、
長期公社債投信を作り、ファンドを通じて個人投資家に社債を買ってもらったわけです。
70年代後半に高度経済成長は終焉する中、
税収不足を補うため国債が大量に発行されるようになります。
国債そのものの多様化も図られましたが、
償還期間2年、3年、4年という「中期利付国債」の消化が思うようにいかなかったようです。
そこで証券業界が大蔵省に「中期国債を主体に運用する投資信託」の開発を打診したとされます。
当時不良債権処理が最終段階を迎えていた日本経済。
銀行などの株式持ち合い解消も本格化します。
しかし持ち合い株式が市場で大量に売却されると、株価は大幅に下落しかねません。
そこで株式の受け皿として、日経225やTOPIX(東証株価指数)を構成する銘柄の株式をまとめて『バスケット』で拠出させ、それに見合う有価証券(ETF)を発行したという経緯があります。
こうして見ると、
官と民があうんの呼吸で都度、
『国民のお金をどこに向かわせるか』に影響を与えてきたことが分かります。
今人気を博しているiDeCo、つみたてNISAも
制度としては素晴らしいですが、
これは「これからは自己責任で資産形成に励んでください」という国からのメッセージでもあるわけです。
私たちはこのことを忘れるべきではないでしょう・・。
カテゴリ:投資信託あれこれ