100年ライフプラン

わたしの死生観。そしてパーソナルファイナンスの転機について。

2020年9月3日


こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

あなたは世の中に『絶対なこと』ってあると思いますか?
これだけは揺らがないというモノ・・。

わたしは、ひとつだけあると思っています。
それは「死」です。

誰でもいずれ「死」を迎えます。
それは生き物としての宿命です。

極言すれば、最終の到達地点「死」が待っているから、
「生」は意味をなすのではないでしょうか。


俗世での地位、経済力、名声に関わらず、
「死」は誰にも平等に訪れます。
これは避けられません・・。

その絶対性、不変性という意味合いで「死」は崇高ですらあります。
誰も「死」には抗えないのです。

 



 

戦争や疫病や災害や貧しさのため、
今より生きることがずっと苛酷だった時代。

「死」は今よりずっと身近にあり、
そこここに潜んでいました。
人々は「死」をリアルに感じていたのではないでしょうか。

それと同時に、
その映しとしての「生」も真摯に捉え、
懸命に生きるという姿勢も(今より)強く持っていたのでは・・。

 

今、私たちが普段「死」を意識しないのは、
それだけ「生」が充実し、豊かになった証拠だと思います。


それはもちろん良いことなのですが、
「死」が日常の枠外に追いやられた結果、
私たちの「生」がどこか霞がかってしまってはいないでしょうか?


パーソナルファイナンスは、
激変の時期を迎えています。

(「再定義」を迫られていると云ってもいいでしょう)

パーソナルファイナンスとは、
「人生」と「お金」の関係学ですが、


その「人生」自体が再考を迫られているのです。


1.人生時間がかつてないほど「延びている」


これ、ほんらいは喜ばしいことです。

ヒトはその誕生以来、なんとか生き延びることを、
そして少しでも長く生きることを追い求めてきたわけですから。

しかし、です。

私たちはこの長くなった人生時間を、
なんとなく過ごしている、
無為に流れゆく時間を眺めているという側面を、どこかで持ってはいないでしょうか?

<気づくと「生」にあぐらをかいている自分がいる?>


人生時間が長くなったからこそ、
本当はその「長さ」ではなく
「充実度=中身」が重要だと再認識する必要があるのでは。

 

 

2.一回の「大きな山」で人生は捉え切れなくなっている


たとえばお仕事です。

新卒で会社に入社 → 定年退職

このような一回の「大きな山」を前提にすると、
ひとつの山を克服することが人生の一大目的となってしまい、

その後の膨大な時間 = 老後の生活を、
空虚に過ごす可能性が出てきてしまいます。

また「大きなひとつの山」は変わらず続く・・を
前提に歩んでしまうと、
山が崩れてしまった場合の対処がしにくくなります。


むしろ最初から、
「大きな山」が2回、3回あるだろう、
そして「山」は隆起したり崩れたりすることがある、

と思っていたほうが無難なのでは?

(といいますか、)

あなたの人生においては
「山」はいくつも(そして)何度でも、
自分で作っていけるのだという自覚が必要なのだと思います。


実はパーソナルファイナンスで難しいのは、
「お金の管理」そのものより、
あなたの「人生」のマネジメントのほうです。

 

人生という物語の作り手は?「あなた自身」です。

派手な物語にしろ、地味な物語にしろ、もっと深く味わえるものに出来るのでは?

そして物語のシナリオは、明日も、来年も(本人次第で)変えられるわけです。


そういう意味で、
(わたしはたまたま今50代にいますが、)
「50代」はたいへん重要だと思います。

「ひとつの山」を終えて、
「次の山」を見繕うのにちょうどよい時期であるためです。

3.家族ではなく「自分」と向き合うことになる


人生時間が短かった世では、
家族とともに、家族に囲まれて暮らす時間がほとんどでした。

ところが、人生時間が延びることで、
「家族」と一緒に過ごす時間より
「自分」と向き合う時間が延びていきます。

たとえば結婚して子供をもうけて・・といいますが、
結婚そのものの定義が揺らいでいます。

 

仮に結婚するとしても
「結婚する前の時間」もけっこう長いでしょうし、

「子どもが独立したあとの時間」もかつてないほど長く、
そして「パートナー」と別れたあとの時間も膨大になり得るのです。


 

ヘンな言い方になりますが、
人生が長くなると、
「自分ってなあに?」「何がしたいの?」が浮き彫りになってしまうのです。


自分の特性を知って、
自分の可能性を引き出してあげられるのは、
他ならぬ「自分(あなた)」であります。


最終のゴールが「死」であり、
そしてその「死」が絶対的なものであるなら、

それを意識することこそが、
『ライフプラン』の始まりではないでしょうか。

かくも偉そうに言っているわたしですが、
「お金」と「わたし」の関係学でいえば、

10代は貯金好きで嬉々として郵便局に通い、
20代はその日暮らしツケ払いでスナックに通い、
30代で資産運用と出会って初めて未来のために「何とかしなきゃ」と思いました。
40代では仕事で功名心が募り、
50代、ようやく身の丈を知るという心境に近くなっています。


でも(もしかすると)
60代になって、
10代の頃の情熱が、どこか予想外の部位で復活するかもしれません。

人生の「山」は何度も訪れるのです・・。


おまけ)

まったく個人的な意見ですが、
人間が提供する商品・サービスが多様化する中で、
いつの日か【不死】に関する商品が人気のあるプロダクトになってしまったら、

わたしはそのとき「資本主義の死」が訪れると思っています。

(「死」があるからヒトは「進化」するのです)

 


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