お金の摩訶不思議

あなたが「まとまったお金」を持て余してしまう理由

2025年6月14日

 

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

 

お金持ちになれば、
お金のことで悩まなくなるというのは幻想でしょう。

保有する「財」が量として多くなれば、
それを適切に管理する方法で
人は(また)頭を悩ますことになります。

 

 

 

 

 

そもそも私たちは
「まとまったお金」と対峙することに慣れていません。

 

ふだんは、
給与入ってくる → お金使う → 給与入ってくる → お金使うという「フロー」の中で生活しているためです。

 

これはよくよく考えてみると、

「狩猟採集時代」から脈々と続く、
獲物捕える → 食べる → 獲物捕える → 食べるという「フロー」と同じ所作です。

 

 

もちろん現代の高度な消費社会では、
(仮に)「5億円」があったら、
こんなものが買える、
あんなものが買えるという多様なイメージを内包することが出来ます。

 

ところがです。

 

 

現実に、
自分の懐に「5億円」が入るとなると、
不思議なことに
たちまち思考が硬直化して、

―5億円で何を買ってもよいのですよ―

(極端な話をすると)、

 

えっ、5億円も!?

じゃあ、

取りあえず、

「大きな家買います!」

 

くらいしか、
思い浮かばなくなります。

 

 

 

 

 

結果、
一国の大統領も、
水道工事会社の社長も、
ふつうの会社員も、

 

たくさんのお金が手に入ると
立派な邸宅を購入する(+高価なクルマ)に寄せていってしまうのです。

 

 

(ところで)ヒトの歴史の99.99%は
狩猟採集時代にあります。

 

上述の通り、

獲物捕える → 食べる → 獲物捕える → 食べるという刹那を繰り返しており、

 

先人たちは歴史時間のほとんどで、明日、明後日、どうやって空腹を満たすのかを考えてきました。

 

 

端的にいえば、

将来のことを心配する・・という思考はなかったわけです。

加えて、
獲物や木の実を求めて移動するため、
モノ(財)を保持するという概念も持ちませんでした。

 

 

 

 

 

意味も(そして)目的もなく、
ただただ今日生きて、
明日生き延びることに必死だったのです。

 

ヒトはその後、
六分の好奇心と四分の不安心を持ち続け、
絶え間ないトライ&エラーを繰り返し、高度な社会を構築するに至ります。

 

 

結果、モノを蓄え、それを増やし、
また貨幣を貯め、それを管理することを覚えましたが、
(実は)それらはつい最近始めた習慣に過ぎません。

 

 

歴史時間としての
狩猟採集時代の「記憶」があまりにも色濃いため、

 

まとまった資源(お金)が
目の前にぶら下がっていても、
それを戦略的にどう扱ってよいか分からず、あなたは戸惑うわけです。

 

多くの人にとって
まとまったお金を用いた投資がむずかしい理由もここにあります。

 

あなたが大金を持て余してしまうのは、
あなた個人のせいではないのです。

 

 

 

 

 

人間の肉体をハードウェアに例えると、
これ自体5万年前とさして変わっていません。

ところが
外部環境(ソフトウェア)が激変して、
―物質的に急速に豊かになってしまい―

 

ハードが
現実のソフトにうまく対応できない事態になっているのです。
これはある意味、辛いことなのかもしれません。

 

たとえば
5000万円なり1億円なりの資産が出来れば、
それはそれで嬉しいことですが、

 

しかし、お金の側からは
「さあ、まとまったお金として、しっかり付き合ってね」と催促されるわけです。

 

 

 

 

 

「まとまったお金」は無言のうちに、
(お金を保持することの)『意味』『目的』を求めてきます。

 

お金との対話は、パワーも知見も要することになるため、たとえば1億円の預金が20年も眠ったままになっている。ということが起き得るわけです。

 

 

何十万年もの間、どうやって明日食べていくかで頭の中が一杯で、よい意味で『その日暮らし』を満喫していた頃のDNAを、私たちはすべからく受け継いでいます。

 

 

まとまったお金とうまく付き合っていくためには、まだまだ膨大な時間が必要なのかもしれません。

 

現状、「大きなお金を持つことが、
必ずしも個人の幸せにつながるわけではない」という言説には、ある程度の説得力があるとわたしは思うのです。

 

カテゴリ:お金の摩訶不思議

おすすめの記事