三菱UFJ銀行貸金庫窃盗事件・昭和の仄暗い欲望(その3)
2025年5月5日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
今回、三菱UFJ銀行貸金庫窃盗事件を丹念に追う過程で、ひとつのことに気付きました。
それは、
「貸金庫サービス」というものが
銀行業の本流(メインストリーム)から
かなり外れているのではないか、という点です。
以下、まったくの私見ですが、
「貸金庫サービスを担当する」とは
銀行内においては、
日陰の仕事に属するのではないかと推察します。
犯人(当時三菱UFJ銀行行員)は事実、
以下のようなピンチに遭っても
(その場を)しのいでしまっているのです。
ある時、不意に貸金庫室に顧客が訪れます。
犯人はその顧客の現金をまさに詐取しており
(あるいはゴールドを質屋に入れており)、
咄嗟に貸金庫室への入退室システムの電源を切ります。
そして、
「故障のため本日は入室できません」と偽ったのです。
こんな稚拙な隠蔽(昭和的・アナログ的)が出来てしまうほど、
貸金庫サービスは
銀行の支店内で
傍流の位置づけであったのではないでしょうか。
2020年4月から
2024年10月に至るまで、
犯人には幾度も不自然な行動があったにも関わらず、
他の行員の無関心さ、気にしなさが際立ちます。
三菱UFJ銀行の監督責任は重たいと言わざるを得ません。)
記事(その1)でわたしは
銀行は貸金庫サービスに「やる気」がないと述べました。
貸金庫の管理責任者だった犯人は、
まさに貸金庫サービスのマイナーさを悪用したと云えます。
では、今回の事件は、
浪費癖・ギャンブル癖を持つ、
一種異常な金銭欲にまみれた犯人個人による、
巨額窃盗事件と片付けてしまってよいのでしょうか。
わたしにはそうは思えません。
事件は犯人が起こしましたが、
この事件の土壌を醸成したのは、
・(でも)銀行は貸金庫に「何が」入っているか関与しない
という、
貸金庫サービス(銀行)の『矛盾するルール』そのものでしょう。
わざわざ貸金庫に預けた顧客側も
この事件の背景を形成した一演者であるとわたしは考えます。
※念のため、
約款上定められた、
預けてもよい「貴重品」を貸金庫に預けている、大部分の健全なユーザーには上記は何ら関係のないことです。
ところで、当事件はすでに裁判が開始されていますが、
『立件』できたのは、被害総額(17億円超)に比して、
約6100万円の現金と、金塊26個分(約3億2700万円相当)にすぎません。
貸金庫の利用者本人以外、中身(金額)を知り得ないためです。
以下、興味深い記事を見つけました。
上記より引用。
支店統廃合の際にも貸金庫の扱いは厄介な作業の一つだ。
多くの契約者は貸金庫の利用を隠したがり、
本人以外への連絡NGというケースが多いためだ。
貸金庫サービスを利用する人の相当割合が
「本人以外への連絡NG」であるのなら、
秘匿性にこだわる日本人のお金気質が垣間見えていると感じます。
現金(外貨含む)、金(ゴールド)
各種契約書、有価証券、保険証券、不動産の権利書、実印、銀行通帳、銀行印、遺言書、宝石、装飾品など
たとえば、不動産の権利書、
保険証券、契約書などは、
貸金庫に預ける=保険を掛けるという意味合いがあり、
親族(関係者)に貸金庫に置いてある旨を知らせるべきでしょう。
しかし、どうなのでしょうか・・、
人の執着心が露わになるものなのでしょうか?
「なるだけ誰にも知られたくない」。
「自分だけの秘密」。
「念のため。まさかの時のためだから」。
と、
己の資産に固執し、
秘匿を第一にしてしまうと、
最期、相続時に
相続人を慌てさせることになります。
(余計な心配と労力を掛けさせることになるわけです。)
ちなみに当然、
税務当局は貸金庫の有無は必ずチェックします。
誰も資産を持ったまま
あの世には行けないわけですから、
もっとも身近な人に
貸金庫サービスを利用している旨伝えることはエチケットでもあるでしょう。
そしてこれは私見ですが、
サービスの質という点において、
銀行ではなく、セキュリティに設備投資をしている
民間の貸金庫サービスを利用したほうが(より)理に適うとわたしは考えます。
カテゴリ:お金の摩訶不思議