その他・雑記

他人のモノ、使い古しのモノでOKな私ってヘンですか?

2025年1月23日

 

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

 

“自分にはちょっと変わったところがある。”

 

口外こそしませんが、
誰にも大なり小なり
そういう部分があるのかもしれません。

 

わたしには、あります。

 

わたしは
『人のモノ』を利用することにあまり抵抗がありません。

 

 

たとえば、
ずっと誰かの家を借りて住んでいる。

つまり賃貸住宅なのですが、
わたしはずっと
『他者が所有する家』を利用し続けています。

 

 

 

 

 

旅行や出張でどこかに行くときも、
わたしはホテルではなく
民泊(Airbnb)を選ぶ派です。

 

要は『人の家』に泊まるわけです。

 

ふつうのワンルームの部屋もあれば、
高原の中の別荘もありましたし、
街中の一戸建ての家もありました。

 

『人の家』が醸し出す、
固有のリビング空間や
水回りや、ベッドや調度品やソファや
置き物や絵や調理器具に至るまで、

 

それら一つひとつに
わたしは風趣さえ感じてしまいます。

 

ちょっとヘンな日本語ですが、
人の家を利用させてもらうことに面白みを感じるタイプなのです。

(ちなみに民泊(Airbnb)を利用してすでに9年位になり、利用回数は50回を超えます)

 

 

賃貸の話に戻りますと、

わたしは(最後は介護施設になるかもしれませんが)
生涯ずっと賃貸で、
他人が所有する家に住み続けると思います。

 

なぜ持ち家でないかというと、

家でも
クルマでも
家電でも、

自分のモノにする=所有するということに、面倒くささ、精神的な重荷を感じてしまうタイプなのです。

 

・・やっぱりちょっとヘンですか?・・

 

 

 

 

 

クルマもそうです。

20年以上、車はレンタル利用のみです。
(いろいろなクルマに乗れて楽しいと感じます)

 

あるいは人の服、人の靴はどうでしょう。

 

使い古しの、
他人の服や靴を利用することに、わたしは抵抗がありません。
(メルカリをしばしば利用しています)

 

 

また、根っから図書館フリークですが、
図書館では
『公共の書籍』を文字通り利用しています。

 

 

他者が所有するモノを
適宜リーゾナブルに利用させてもらう。

 

そして、借りるを止める、使うを止めるときに、淡々と止める。

 

それが暮らしの『基本姿勢』になっています。

 

きっとそういう考え方自体に
心地よさと感じているのでしょう。

 

 

では・・、お金は?

 

 

 

 

お金は(たしかに)所有していますが、
これも不思議な感覚です。

 

 

 

 

 

いまどき1000万円の現金を家で保管とかしないですよね。

 

自分のお金ではあるものの、
銀行口座も証券口座もすべて
オンライン上で管理されていて、

なんだか「お金」=「データ」のような感覚になることがあります。

 

サーバー上に
データ量(資産額の数字)があって、
(それを)必要に応じて、必要な分だけ利用している・・。

時に数字が多くなったり、少なくなったりする。

 

なんだかストレージ(容量)みたいです。

 

 

 

 

 

勿論わたしが死んだら、
資産を妻に引き継いでもらうことは出来ますが、

それも「本当に必要なの?」と、大いにクエッションマークが付きます(妻は自分の糧で自力で生きていけるでしょうから。)

 

つまり、
わたしにとっては
金融資産を保有し続けているというより、

生きている間という期限付きで
お金を『利用』させてもらっている感覚があるのです。

 

・・やっぱりちょっとヘンですか?・・

 

サーバー上に
データ量(資産額の数字)があります。と述べましたが、

 

ある方が亡くなってしまい、
本人がネット銀行、ネット証券に資産を置いていることを『相続人たち』が(もしも)まったく知らなければ、

 

 

 

 

 

そのデータ量(資産額)は、

誰にも知られることなく、
従前と同じ形で浮遊し続けることになります。

データの一部が「株式インデックスファンド」であれば、持ち主が死去したあとも、勝手にファンド価格が上昇しているかもしれません。

 

ネット金融機関が
口座名義人の死亡に気付く日まで・・・・。

 

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