今日で阪神淡路大震災から30年になります
2025年1月17日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
今日は投資の話ではありません・・。
30年という月日は
膨大な時間の積み重ねです。
と同時に、
あっという間の時間の疾走でもあります。
わたしが生まれたのは神戸市長田区でした。
わたしは震災時(1995年)、26歳でした。
震災で大地が、
建物が
街そのものが、
まるで特撮映画の現場のようにガラガラと形を変え、崩れゆく姿を目にしたときには、驚きを通り越して、妙な爽快ささえ覚えたものです。
わたしが勤めていた不動産会社は
長田区の鷹取地区にあったため、
店舗を含め、その街区全体が
今起こっているロスアンゼルスの大火の如く、一面火の海に晒されました。
『熱波』が帯となって体全体に襲ってくる感覚は、今でも忘れることが出来ません。
焼け跡とは
喪失の象徴であると同時に、
「興る」の象徴でもあります。
神戸の町は
全国からの有形無形の支援のおかげで、
瞬く間に復興を果たしました。
新しい家が建ち、
鉄道や高速道路をはじめとした
インフラが次々と立て直され、
整然とした美しい町に生まれ変わったのです。
町が日々、町としての姿を
取り戻す光景を目にしていたわたしは、
「自分も頑張らねば・・」と励まされたものです。
しかし、復興した町並みを見るにつけ、
言いようのない悲しみが
こみ上げてくるのも事実でした。
こうも短期間に一掃され、
まったく違う景色になることを
それまで経験したことがなかったからです。
わたしが知っていた、
人の営みと共に老いた家々、
駄菓子屋や銭湯、町工場や、
昔ながらの少し古びたアーケードが連なる商店街は、もうどこにも存在しませんでした。
あなたは
「それはぜいたくな郷愁では?」
と思われるかもしれません。
しかし、過去の歴史を内包しない空間に囲まれる、なんとも言えない居心地の悪さを、わたしは否定することが出来ませんでした。
今、30年という月日が経ち
わたし自身年を取って思うのは、
町の光景の変化を、ただ早めるだけなのだ。ということです。
唐突ですが、あなたは今このブログを、
建物の中で読んでいますか?
あなたは今、
ご自宅にいるのかもしれません。
あるいは職場の中かもしれません。
(もしかしたら、通りに面したカフェでしょうか・・)
あなたが今いるその建物が建つ前には、
いったい『何が』そこにあったのでしょう?
(おそらく別の建物が建っていたのでしょうね・・)
では、その前は?
また、別の建物が建っていたはずです。
では、その前は・・?
また別の建物が建っていたか、
あるいはそこは、
田んぼや海や山であったかもしれません。
長い長い「時間の尺度」で
ひとつの場所を眺めてみると、
実はそこには
幾重もの違う景色が
折り重なって変遷していることが分かります。
もしかすると(これは)
人も同じかもしれません。
あなたのお顔を拝見し、
お名前や出身地や本籍を伺うとしましょう。
あなたという人間の背後には、
脈々とつながるご先祖さまがいて、
またあなたのお子さんや、
姪っ子さんや
お孫さんというご子孫に連なっていくのです。
人も、町も、移ろいゆくものであり、
現在見えているものは
過去と未来をつなぐ
「かりそめの姿」なのかもしれません。
そういった時間の儚さ、
流転の凄まじさを、
わたしは阪神淡路大震災によって学んだように思います。
日本は地震大国です。
何百年、いや何千年と日本人は地震と付き合ってきました。
あなたが住まう空間(建物)や土地や、
建物の中で所有するさまざまなモノは、
所詮「かりそめのもの」です。
しかし、どんな地異が起ころうが、
あなたの内部にある資産、
あなたがその身体の中で積み重ねてきた『知見』は、誰にも奪い去ることはできません。
それこそが真の「資産」なのです。
合掌。。
カテゴリ:その他・雑記