価値あるものを見極め、それを残し、伝えようとする行動。ゴッホの親族から『投資』を学ぶ
2024年11月29日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
はっきり言って、
私たちが見聞きしている歴史とその中身は、
為政者によって
ある意思を持って『残された』ものです。
ほんとうの全歴史コンテンツを100とすると、
今、目にすることが出来ているのは
0.001程度かもしれません。
言い換えると、
無数の・・
無名の人たち、
そして無名の人たちによって成し遂げられた事や、発せられた言葉や、喜怒哀楽といった心情のこもごもは、
誰からも記憶されることなく、
そのほとんどが歴史の塵として地中深く埋もれています。
たとえば1600枚の絵を描いた画家がいるとしましょう。
生前に売れた絵はわずか1枚。
その画家は37歳で自死しました。
彼の名はゴッホ。
彼は
誰からも記憶されることなく、
歴史の塵として埋もれてしまう寸前だったのです。
たとえ画家が生前「無名」だったとしても、
画家の労苦を知る
あるいは画家の才能を信じる親族たちは
はじめの5年、10年は、
画家が残した作品群を保管し、
それらを世間に知らしめようと努力するかもしれません。
しかし、
時が経ち
故人の息遣いを知る人がいなくなれば、
(故人の膨大な作品群も)粗大ゴミとなってしまうのが関の山でしょう。
時間というトンネルをくぐり抜け、
事やモノを残して(それを)世間に知らしめるというのは、至難の業なのです。
19世紀を生きた画家、
フィンセント・ファン・ゴッホの名前を知っています。
彼が歴史に残ったのは
弟のテオと、その妻ヨハンナのお陰です。
弟のテオは、
経済面、精神面の双方で兄(ゴッホ)を支え続けました。
ゴッホとテオの往復書簡集を読むと、
ゴッホの絵は、
まさに弟テオとの合作であることが分かります。
そして、もうひとり、
テオの妻ヨハンナの存在も忘れることはできません。
(実はゴッホが死んだ翌年、
弟のテオはあとを追うように亡くなってしまったのです)
テオの妻ヨハンナは、
ゴッホとテオの膨大な書簡を読み、
また自身ゴッホの作品に触れることで、
この義兄がただならぬ才能を持った人物であると確信します。
より正確には、
義兄が残したものの『価値』を
後世に伝えるべき「責務」を感じた・・と云うべきでしょう。
ヨハンナは
ゴッホとテオの間に残された膨大な手紙を整理し、
1914年に書簡集を出版しました。
また、ゴッホの絵の展覧会を幾度も開催します。
その意志は
ヨハンナとテオの息子、
フィンセント・W・ファン・ゴッホ氏に受け継がれ、
氏は生涯をかけ、
伯父ゴッホの作品・資料の保存にあたりました。
1962年にはファン・ゴッホ財団が設立され、
その後「ファン・ゴッホ美術館」の設立にこぎつけるのです。
『ファン・ゴッホ美術館』(アムステルダム)
30年、50年、
いやそれ以上の膨大な『時間の帯』を意識しながら、
それを残し、伝えようとする行動。
これも立派な「投資的行動」と云えるのではないでしょうか。
あなたはあなたが保有するファンドが
例えば66年後、姪っ子の保有に移っても、それが価値をなすと考えますか?
カテゴリ:世界投資的紀行