お金の摩訶不思議

私的なお金と 公的なお金

2024年10月9日

 

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

 

金(カネ)というストレートな言い方はしません。

私たちはわざわざ「お」を付けて「お金」と言います。

お金は大切なものです。
どの国でも、どんな時代でもそうでした。


人にとって「衣食住」は欠かせませんが、
どれもお金がないと用立てることが出来ません。

「お金」は安心の砦であり、暮らしを支える重石です。

 

“お金は命の次に大切なもの。”この形容は決して大げさではないと思います。

 

 


ところが、私たちが常に
「お金」のことを考えるかというと(それが)そうでもありません。

仕事が忙しい時など、
預金残高の数字を知らないまま半年も過ごす人が実際にいます。

 

そのくせ生活のお金が足りなくなると、
「月末の電気代をどうしよう?」と頭を抱え、朝から晩までお金のことを妄想したりもします。

 

 

 

 


お金はそもそも平等に配られていません。
また、平等に稼ぎ出せるわけでもありません。

 

一国の中でも、お金は偏在しています。
100万円の借金が返せず自殺する人もいれば、オンラインカジノで1億円すってしまう富豪もいます。

 


必要とされる人(場所)に、
必要なボリューム(量)が届いていない。

 

そのいっぽうで、
ある人(場所)には有り余るほど積み上がっている。

そういう意味で、お金は不条理です。

 

 

しかし同時に、お金は人を勇気づけたりもします。

小さな報酬(お金)を得ることで、
それが社会承認のきっかけとなり、
その後人生の階段を駆け上る人もいます。

 

「お金は大事だ」と心の中で叫ぶとき、私たちは「それ」を個人のお金(私的なお金)と見なしているわけです。

 

 

 

 

 

ところで、世の中には
個人のお金(私的なお金)以外に「公的なお金」があります。

 

分かりやすい例が国や地方自治体の予算でしょう。

 

会社や個人が稼いだお金の一部を、
政府(地方含む)が徴税して、公のサービスに用いる。

このようなお金が「公的なお金」です。

 

上述した、
「お金は平等に配られるわけではない」現実を、補正するのが公的なお金の役割でしょう。

 

 

しかし、このような
「誰のモノでもあって、誰のモノでもないお金」というのが、扱いが難しいのです。

 

私的なお金のように
保持者の『考え』に従って、
お金の使い道が決まるわけではありません。

 

 

 

 

向こうを立てれば、こちらが立たずという中、壮大な調整作業の連続によって、公的なお金の『配分』は決まります。

 

いや、これはきれいごとな言い方かもしれません。

 

もっと赤裸々に述べましょう。

 

公的なお金は、裏を返せば「他人のお金」です。

 

 

 

 

 

政府(地方含む)の中の、
さまざまな窓口の、
―あるいは窓口に影響を及ぼす人たちの―、

『分捕り合戦』によってお金の配分が事実上決まります。

 

仮にAからKまで12の窓口があるとしましょう。


各窓口にとって最大の仕事は1円でも多く『予算』を獲得することです(もちろんそこで働く人たちの給料も含めての予算です)。

 

たとえFという窓口の、

世の中における重要度が低くなったとしても、
いきなり予算が半分になったりはしません。

「F」そのものが既に権限や権利の砦となっているためです。

 

逆に、Dという窓口が益々重要になっても
いきなり予算が倍になったりもしません。

 


私的なお金はどうでしょう。

 

私的なお金とは、自分のお金です。

その使い方の結果はすべて「自分」に跳ね返るため、脳に汗をかきながら、懸命にその用い方を決定します。

その都度「ゼロの地点」に立ち返って、決め直すことの連続です。

 

 

いっぽう公的なお金は「他人のお金」です。

 

この種のお金は決まった時期になれば、入ってくるのが当たり前です。

「市」の予算がいきなり半額になって「今月の電気代をどうしよう?」と困ることはありません。

 

 

 

 

 

「お金を配り直す」という崇高な目的にも関わらず、公的なお金はしばしば硬直し、そして怠惰になっていきます。

 

あくまで私見ですが、

公的なお金は 私的なお金ほど『頑張れない』のです。

 

※私的なお金でも
オンラインカジノで1億円すってしまうような怠惰さが存在するのは重々承知しています。

 



(私的なお金の量に比して)公的なお金の割合が増えるのは、憂慮すべきことでしょう。

なぜなら、公的なお金は放っておくと、自己肥大化するためです。

 

「私的なお金」と「公的なお金」の比率を変えることは、

陸と海の割合を変えるほど、大きな外科手術となります。

 

それが出来るのは、逆説的ですが、公的なお金の監督者である政府(地方含む)だけなのです。

 

 

1981年のレーガン大統領の就任演説の一部より。

 

Government is not the solution to our problem; government is the problem.

 

カテゴリ:お金の摩訶不思議

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