世界投資的紀行

株主の『有限責任制』を作ったのはオランダです

2024年9月4日

 

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

 

有限責任と書くと、
ふつうに四文字熟語ですが、

有限責任(ゆーげんせきにん)と声に出せば、
どこか少し気持ちがラクになるかもしれません。

 

何しろ
有限の、責任なので、

「まあリスクはあるけれど、
トライするのもありか・・。」

と幾分思いやすくなります。

 

 

 

 

 

資本主義のしくみは、
ほとんどすべて
人間の『本性』に基づいて設計されています。

 

 

すなわち、

欲はある。
儲けたい。

 

でも、
すべてに過剰な責任を負うのは嫌だ。

できれば、リスクの範囲(大きさ)を事前に知っておきたい。

 

 

平たく言えば、経済そのものが、

私たちが感じる、
リスク(不確実性)とリワード(報酬)の絶妙な『接点』を中心にして、回っているわけです。

 

 

以下、ちょっとした
『フィクション冒険譚』です。

 

・・今から500年前のはなし。・・

あなたはオランダの商人です。
ジャワに向けて貿易船を仕立てて人も雇って、『胡椒』を買い付けたいと思っています。

 

 

 

 

しかし、
たった独りでお金を出すには金額が膨大で、気持ち的にも二の足を踏んでしまいます。

 

 

そこで、
こんな「案」を思いつきました。

 

 

 

 

上図のように
あなたを含めた5人が
この「貿易プロジェクト」に出資することになりました。

 

 

このプロジェクトが
うまく行かなかった場合、
自ら出資した分は諦めることになります(=全損)
もしもこのプロジェクトがうまく行った場合は、
経費を除いた利益分を1/5ずつもらう。

 

 

こんなルール付けを行ったわけです。

これが『有限責任』の概要です。

 

 

そして、
歴史的変遷でいえば、

上記のような
一度の胡椒買付けプロジェクトが常態化して、株式会社になったわけです。

 

 

そう、
オランダ東インド会社。

 

世界初の『株式会社』として有名です。

 

 

金融の世界史―バブルと戦争と株式市場―(新潮選書)の著者、板谷敏彦さんは、オランダの東インド会社についてこう言及します。

 

 

もともと一七世紀初頭の世界で、
金融の最先端にあったオランダ東インド会社だけは株主有限責任制だったのですが、

 

 

徐々にこれが広まり、一九世紀のアメリカで
制度として株主の有限責任制が確立されました。

 

なるほど。

 

有限責任では
リスク最大値の大きさが明快です。

すなわち全損。

 

 

では、
『無限責任』とは?

 

 

板谷敏彦さんはさらに続けます。

 

 

実は一九世紀以前の株主は基本的に無限責任だったのです。

 

つまり債権者から請求があれば出資金以上に(株が無価値になった上に)、債権者に返済しなければなりませんでした。

 

これはちょっと酷ですね。

 

 

 

 

 

株式会社の素晴らしいところは、

―そして株式会社の債権者、出資者にとって手痛いところは、―

 

会社が潰れてしまった場合、

株式会社本体は
現存する資産の中でのみ
弁済を行うという取り決めがなされていること。

 

 

要は倒産しちゃったら、
(取り戻せない分は)あきらめてね。がまかり通るわけです。

 

株式会社自体の『有限責任』です。

 

 

こんにちの「市場主義経済」とは、

 

・個人が
・とことん
・事業を引き受けるぜ

という、
ウェットで、
情緒的な行為から脱皮して、

 

 

・多数の出資者が、
・ときどきで
完全に自己動機で集まり、

・一定のリスク総量のもとで
・わりと少額の単価から、

・複数の事業に
・ドライに
・投資ができる

しくみの総称のことを指します。

 

 

たとえば株主は、
それが1株、10株であろうと、

株式会社を持つ人という意味合いで『所有権』が明確で、絶対なのです。

 

そのくせ、
手軽に売買できるようになっています。

 

 

 

 

 

株式が売買される
証券の取引所では、

あなたがどこに住もうが、何歳であろうが、
性別や出身地や職業の有無や学閥や、
文化的背景、信教うんぬん一切を問いません。

 

 

また『有限責任』ですから、

あなたは
その株式を売ろうとする人の、

素性とか信用情報とか、
文化的背景とか、
そんなことを勘案する必要もありません。

 

 

公の情報である『株価』という簡潔な数字のみで、所有権の大きさが規定され、売買がなされ、資本が移動します。

 

毎日毎日、資本の移動の「自由さ」が保証されているわけです。

 

 

 

 

 

「なんか、情の部分というか、人間臭さがなくて、味気ないね」という意見があるかもしれません。

 

しかしながら、
実は株式市場という空間は、人間臭さで溢れています。

 

 

何千万人、いや何億人という人間が
『有限責任の原則』のもと、

己が信じる、
リスク(不確実性)とリワード(報酬)の絶妙な『接点』を計りながら、売買を行っているわけですから。

 

 

株式会社の価格を決めるのは、数多の市場参加者です。

したがって
株式市場の平均値である株価指数には、人間の汗と涙が詰まっています。

 

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