精神科医ユングの言葉『私たちは深い準備をすることなく、人生の午後に踏み出すのです』
2024年5月29日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
もしかすると、
人生は終わりがあるゲームなのかもしれません。
今、この瞬間にどんな選択をし、どう行動するかです。
常に状況が変わるため、
今、どう対応するかがほとんど全てとなります。
とにかく前に進んでいくしかありません。
もちろん、
この先(未来)のことを、
ある程度は予想しながら行動します。
しかし、
所詮未来は「不確定」ですから、
これから起こることを言い当てることなど出来ません。
では、
すでに選択したこと(過去)はどうでしょうか。
ゲームをしている最中に、過去を振り返ったりしますか?
すでに選択したことは、
ほとんど忘れかけているはずです。
それ(過去)は取り戻すことは出来ないし、
変更することも出来ないのです。
人生は終わりがあるゲームです。
終わりとは、生き物としての「死」のこと。
マリオのゲームに
なぜ「終わり」があるかというと、
それは「終わり」がある人間が作っているからでしょう。
終わりのないゲームは、たぶんあまり面白くないと思います。
終わり(終点)があるからこそ、
「序盤」が生まれます。
「展開」が意味を成します。
見せ場があり、危機があり、そして安堵があるわけです。
現れてくる人やモノ(情報)に対応するのが精一杯で、「なんでワタシこれをしてるの?」という疑問を差し挟む余地がほとんどありません。
何しろ刺激的で、
学ぶことも盛りだくさんですから。
でも、本当の話、
「なんでワタシこれをするんだろう?(してるんだろう?)」
という根本疑問を自身にときどき投げ掛けないと、
あっという間に、
52歳くらいになってしまいます。
ホントです。
精神科医のユングはこう言います。
私たちは深い準備をすることなく、人生の午後に踏み出すのです。
本人は「まだまだ」と思っていても、
気付いたときにはすでに人生の後半は始まっていて、あなたも立派なベテランチームの一員に。
今一瞬、
ゲーム(人生)の『一時停止ボタン』を押してみましょう。
50歳ですか?
あなたが思っているより、
ステージは進んでしまっています。
ユングのことばを思い返してみましょう。
「私たちは深い準備をすることなく、人生の午後に踏み出すのです。」
「50歳~100歳」では、
ぜんぜん同じ長さではありません。
後者(50歳~100歳)の実感タイムは、
おそらく前者の半分くらいでしょう。
ぐずぐずしている暇はないのです。
日々の人との交流や情報に
意識の大半を占められると、
大事な「あなた自身」が置き去りにされます。
もちろん投資も大事です。
しかしより重要なことは、
「なんでワタシ、これをしてるのだろう?」
「これから一番したいことって?」
という質問を自身に投げかけ、
『自己』(我欲)を発掘することなのです。
あなたにとって必要なモノを拾うために、
何か(必要性の低いもの)を捨てる勇気が要ります。
会社の中での
肩書としての○○さん。←あなた。
家庭の中での
肩書としての○○さん。←あなた。
地域の中での
肩書としての○○さん。←あなた。
誰かが望む役割を、
くれぐれも詰め込み過ぎないようにしましょう。
暮らしを振り返ってみると、
私たちは周りに合わせて「演じている」
プロ級の演者であることが分かります。
なにしろ子どもでも、
周りの空気を読んで、
子どものフリをすることがあるくらいですから。
徐々に減らしていく(=卒業すること)にわたしは大賛成です。
お金も大事。
健康も大事です。
でも、
『あなた自身』を取り戻すことがいちばん大事です。
作家の村上春樹は
著書「走ることについて語るときに僕の語ること」で
次のように語っています。
人生にはどうしても
優先順位というものが必要になってくる。
時間とエネルギーを
どのように振り分けていくかという順番作りだ。
ある年齢までに、そのようなシステムを
自分の中にきっちりこしらえておかないと、
人生は焦点を欠いた、メリハリのないものになってしまう。
まったくそう思います。
カテゴリ:100年ライフプラン