私たちは200年前と比べて豊かになったのか?(ドラクロワの絵に学ぶ)
2024年4月10日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
ウジェーヌ・ドラクロワは
19世紀に活躍したフランスの画家です。
そのドラクロワの作品に「墓場の少女」があります。
ちょうど200年前の1824年に描かれました。
どこか暗い絵です。
複数の解説文を読むと、
絵の中の少女は孤児であり、
おそらく戦禍が原因で行き場もなく、
夕暮れ時、
何をするでもなく
公園墓地で悲嘆に暮れている姿を描いたとされます。
この絵を見るたびに、
世界史を学んだ人ならご存じの通り、
19世紀は欧州を中心に
戦争漬けといってもよいほど、戦争に明け暮れた時代でした。
それは大局的にみれば、
貧しかったからではなく
人類が『豊かになり始めた』ためで、
領土や資源や人間(労働力)を獲るため、
また宗教的な正義のために、
私たちの先人はせっせと戦争に励んでいたのです。
翻って今、です。
人は変わらず、
自分が信じる神の物語のため、
あるいは領土のために戦争を行っています。
「ああ、人間は200年前とまったく変わっていないのだ」と、嘆いたりするのは簡単でしょう。
でも、冷静になって周りを見渡せば、
今(現代)と200年前はまったく別世界であることが分かります。
世の中は格段によくなっているのです。
私たちは『進歩』という言葉に
しばしば懐疑的になります。
しかし、
そんなニヒリズムよりも、
「実際」に目を向けてみるべきではないでしょうか。
何より(200年前に比べて)
衛生環境が格段によくなっています。
安全な水が十分にあり、
疫病に対して
私たちは処方箋を持っています。
さまざまな病気を治癒できる医療技術を得、多様な薬も難なく手に入ります。
移動手段はどうでしょう?
自動車もあれば飛行機もあります。
鉄道が張り巡らされ、人々は快適に移動できるようになりました。
(200年前だと、
せいぜい乗り合い馬車を利用するくらいだったのでは?)
200年前は
まだ「電気」が発明されていませんでした。
夜は漆黒の闇です。
コンクリートもまだありません。
冬の寒さは私たちの想像の域を超えます。
19世紀のほとんどの時間、
一般大衆は自然の恵みに依拠して、
限られた生活範囲内で
慎ましく生きるしかなかったのです。
また、多くの人にとって
文化的規律としての宗教が
日常生活を支配していました。
私たちは慣習にがんじがらめであり、
自由に物を考え、
自由に生きるなどという選択肢もほとんどありませんでした。
考えてみますと、
屋内に清潔なトイレがあり、
さまざまな食料が手に入り、
5日働けば2日も休みがあり、
また映画やラジオやテレビなどの娯楽があるということ自体、(200年前の常識からすれば)驚異的といえるでしょう。
職業選択の自由が確立し、
個人の財産権が認められ、
経済のしくみに誰もが参加できる世の中に、私たちは暮らしています。
200年前、すでに原型としての株式市場は存在しましたが、参加できる人は僅かで、それはまだまだダークで胡散臭い場所でした。
200年後は2224年です。
もちろんあなたの子孫は元気に暮らしているはずです。
カテゴリ:世界投資的紀行