リスクをめぐる冒険(嬉しい気持ち、悲しい気持ち「両方」を味わいたいですか?)
2024年1月2日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
眼の上の「たんこぶ」みたいなもので、
常にその存在を意識せざるを得ません。
では、投資におけるリスクとは(いったい何なのでしょう?)
(市場の動き方の)不規則性?
(市場の価値現出の)不確実性?
たしかに、株式マーケットを相手にする投資においては、『なにひとつ「定か」「確定している」ことはありません。』
平和で安定している。
おおむね既知のことが、既知の通り、起こってくる。
あなたは、これで生涯ずっと満足ですか?
たとえば、です。
目の前にちょっと『不安定な橋』が架かっていたら、
「へえ~、どんなだろ? ちょっと渡ってみたいな」と思うより、遠回りしてでも安全な石橋を選んで渡りたい・・
そういう人はたぶん『投資』はしないほうがよいでしょう。
逆に、上記「不安定な橋」を、ちょっと不安だけれども興味あるなぁ・・
ドキドキしながら渡ってみたら、木のきしむ音は聞こえたけれど、なんとか無事渡れたよ! となって、ちょっと楽しい(嬉しい)みたいな気持ちになれたとか、
「不安定な橋」を渡ったら、真ん中あたりで木の板が抜けて、足を怪我して痛い思い(悲しい思い)をしたけれど、まあまあ、それも含めて「人生だよね」って割り切れたとか・・・・、
要は、人が暮らしていくのって、楽しい気持ち(嬉しい気持ち)、悲しい気持ち、両方あるよね、を受容できる人こそ『投資』はしたほうがよいでしょう。
以下、わたしの私見です。
「安定的な、確定した事象に囲まれている状況」に居ると、
これはたいへん心地良いものですが、
いっぽうであなたの『衰退』が静かに始まります。
長いヒトの歩みを振り返ると、
に対処してきた 歴史 と云えるでしょう。
未知の、不確定な事象を感じるためには、
あなたは
少し神経質で臆病で、ちょっと怖がりである必要があります。
これが、リスクを察知する「特性」なのです。
ヒトはずっと心配性だったから、生き延びてきたとも云えるからです。
いつも、
リスクに立ち向かってきたのがヒトの歴史なのです。
あなたもわたしも、
六分の好奇心と四分の懐疑心に駆られて、
リスクに立ち向かってきた先人の『子孫』ですから、そういうマインドを知らず知らずのうちに持っています。
心配性な面と、向こう見ずな面と両方必要なのです。
向こう見ずで、冒険心のみに溢れた人が、やがて投資の現場からいなくなった例を、わたしは幾つも知っています。
カテゴリ:投資の発想法