「老いる」について
2023年12月19日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
今日は投資とは関係のないお話です。
あなたはそう感じることはないですか。
これは「老い」の具体的現象の一つです。
当たり前のことですが、
若かった時は
肉体の衰えが自分に訪れるなんて夢にも思っていませんでした。
わたしもそうですが「老い」を感じると、
「若さ」(かつての自分)を振り返るという行為につながります。
・・・・・・・・・・・・・・・・「老い」
ココが「老い」の↑発見だとすると、
人は「歩んできた道」を洞察できるわけです。
老化現象は生理現象。
500年前も、1000年前も「人」は老いていましたし、
これから先もこれは変わりません。
いわく、
・歩くとき、知らぬ間に後ろで手を組んでいる。
・テレビを見ながら、画面に話しかけてしまう。
・食べながらしゃべると、誤嚥(ごえん)してしまう。
わたしは既に経験済みです(笑)
(ところで、)テレビを観れば、
もう健康食品CMのオンパレードですね。
その中では「若さを保つ」ことが
唯一無上の価値のように宣伝されています。
そしてそれを、私はイタいと感じます。
もちろん一投資家として、
広く『アンチエイジング産業』が
これから大きく伸びる分野(世界的に)であることは承知しています。
(まさにグロースセクターです)
ただ「老い」は自然現象であり、
それは「若さ」が徐々に失われていく過程のこと。
この「枯れゆくプロセス」を楽しむという余裕があってもよいのでは?
誤解がないように、上記、怠惰に『老いる』に任せる、という意味ではありません。
私だって健康にも留意しますし、運動にも努めて行います。
流れに抗わず、
「枯れるもまたよし」と独り呟きたい自分がどこかに居ます。
「老い」とは、
これから先の残された時間が「もうあんまりないよ!」と告げてくれるアラームに他なりません。
そして、やるべきこと、やらないこと、
人生のメリハリを「明確に付けないと!」と教えてくれます。
資産運用で云えば、
早めに意識して使うことも実践しないと!」
と告げてくれるわけです。
また「老い」は
身体的にさまざまな制約を課しますが、
それは逆に
精神的な「成熟」へと向かうチャンスなのかもしれません。
体力は衰えても、知力でカバーし、
その知力をさらに伸ばすことも可能でしょう。
冒頭、老いてはじめて
「今まで歩んできた道」を洞察できると述べましたが、
物事を咀嚼できる、
深く分け入って考察できるチカラこそ、
わたしは「老い」のメリットだと思うのです。
現代の老いは長く続きます。
生まれて 生きて 死ぬ ではなく、
生まれて 生きて 老いて・・・・・ 死ぬ なのです。
最後に、
ざっくり65歳以降を「老いるの時間」と線引きしても、
それはまさに「一時代」といえるほどの壮大な長さになります。
(その中で、もうひと華咲かせるか、華を愛でるに徹するか、あるいは華の枯れるを見続けるのか、どれを取るかは(勿論)あなたの自由です。)
個人的には90歳を超えて生きたいとは思いません。
アンチエイジング産業が高じて『不老不死ビジネス』が隆盛することだけは、御免蒙りたいです。
人間の進化は、個体の死によって続いてきたわけですから、『死』は厳粛に受け止めたいものです。
カテゴリ:その他・雑記