カンさん。残念です・・
2023年9月22日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
今日は少し「不謹慎なお話」です。
資産運用と死は隣り合わせという話です。
この仕事(相談業)を長くしていますので、
お客様の中で
すでにお亡くなりになられた人が何人もおられます。
定期的に面談させていただいていたお客様が
(ほんとうはだいぶ前から癌であったのに、)
最後のほうで
わたしに教えてくださり、
病院にお見舞いにも行ったのですが、
「葬式には来ないで欲しい」とその人は言われました。
不意に訪れる死を目撃してしまうと、
手元の資産はご本人の急逝など知らずに、ただそこに在るだけですから、資産運用の根源的な意味合いについて考えさせられたりします。
またある年。
別のお客様からお電話がありました。
急に、
ネット証券でのファンドの解約のしかたを聞かれるので、わたしは「何かあったのですか?」と伺いました。
そのお客様は
実はもう長くないんです・・という前置きの言葉と共に、現在の病状について説明してくださいました。
死は(不意に)訪れます。
ファンドを解約したほうがいいのか、
それともそのまま(ファンドのまま)
子どもに遺したほうがいいのかというご質問を、
いや、その時の声のトーンを、
わたしは今でも鮮明に覚えています。
死は案外身近に転がっています。
それを迎えるのが
「早め」なのか
「遅め」なのかの違いがあるだけです。
そして、それ(死)を避けられた人はこれまで一人もいません。
私たちは普段、
保有する資産の増減を気にしたり、
新たに登場する制度や金融商品に興味を持ったりしていますが、
モノやサービスや価値、経験を購買するための「道具」に過ぎません。
この「道具」を使わずに
あなたが逝ってしまえば、
この「道具」はそのままの姿で残るだけです。
もちろん、
あなたのお子さんや姪っ子さんや甥っ子さんが
「道具」を引き継いでくれるかもしれませんが、
所詮、自分で育んだお金ではないので、
あなたがあなた自身のお金を用いる場合に比べると、思いの入れ様が違います。
お金は(本人が)使ってなんぼ、なのです。
また、死は必然ですが、
生まれ来ることはまったくの偶然であります。
たまたま、
この岩と水と空気を湛えた場所に、
たまたまこの年代に、生まれ落ちたわたし。
しかし、
この大きな天体から見れば、
わたし一人の「生」など、ごくごくごくごく小さな存在です。
もしもわたしが逝けば、
わたしの家族、兄弟、友人は悲しんでくれるかもしれません。
しかし、
生きている人たちにも生活があります。
後ろ髪を引かれる思いがあっても、
それを振り切って、
現実の場所で暮らしを続けなければなりません。
いつまでも「死んだ人」に気持ちが引っ張られるのは辛いですから、やがて悲しみそのものも薄らいでいくのです。
(そうしないと「生」に邁進できません。)
そして、そんなわたしの家族、兄弟、友人も(また)死んでいきます。
そうやってこれまでも、
何百回、何千回と入れ替わってきたのです。
あなたや
わたしの「生」など、
ほんの一瞬の、微細な泡(あわ)に過ぎません。
わたしはたまたま資産運用の「指南」を仕事にしていますが、
それは「お金」のタスク全体から見れば、
前半部分(50%)を占めるに過ぎないでしょう。
後半部分の50%は、
自身のお金(資産)を、
何に・どう用いるのかという「決定」と「実行」です。
そして、多くの人にとっては、
前半部分より
後半のほうが難しかったりします。
わたしは時々思うのです。
死者の声で溢れているのではないかと。
なぜなら、
今生きている80億という人の数より、
これまで死んでいった人たちの数のほうが圧倒的に多いからです。
そして、ことお金のことに関していえば、
ある種の無念感、
いや『後悔の念』を抱いて、死んでいった人が案外多いのではないでしょうか。
序盤で登場した、
お電話をくださったお客様。
最後に、
電話口でこう言われたのを思い出します。
カンさん。残念です・・。
こんなことになるなら、
もっと早くやりたいことをやっておくべきでした。
カテゴリ:お金の摩訶不思議