お金持ちであることの苦痛(Cさんの場合)
2023年6月24日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
お金とは不思議なものです。
無いと
これほど困るものもないですが、
たくさんあればそれでハッピーかというと、必ずしもそうではありません。
すべて【フィクション】であることにご留意ください。
当時、まだ珍しかった
イタリア製のクルマが
Cさんの自宅にはありました。
そのクルマを見るために、
わざわざ玄関先まで来る人もいたそうです。
また、Cさん一家は毎年夏になると、
海外旅行に出掛けていました。
(昭和40年代に家族で海外に行くというのは
たいへん珍しいことでした)
端的に言ってCさんは、
誰もが羨む『お金持ちの家』に生まれたのです。
Cさんのご両親は若い時から苦労され、
全国チェーンの店舗を築き上げられた事業家です。
「事業家の〇〇さんの息子さん」として、Cさんは有名でした。
ご両親はもちろん、
Cさんによい服を買い与えていました。
(お稽古事もたくさんさせていました。)
また、言葉遣いにも注意するよう言われていました。
小さい頃から
有形無形の視線を浴びていたCさんは、
少し意地悪い言い方をすれば、
Cさん自身である前に、
『裕福な事業家の息子さん』というroleを当てはめられていたのです。
否応なしにCさんの中に芽生えます。
またCさんは、
ご両親のことは尊敬していましたが、
お金持ちにありがちな
『過剰な華やかさ』を、
知らず知らずのうちにまとう二人に対して、複雑な感情も持っていました。
「お金があるから、
こういう居心地の悪い状況が起こるのだ。」
そう思ったことも
一度や二度ではありません。
お金に対してネガティブな感情を抱いてしまう自分に、「これは贅沢な悩みではないか?」と何度も自問したそうです。
Cさんはお金が嫌いでした。
しかしそれと同時に、
Cさんにとって
『お金が乏しい生活』は考えられませんでした。
この矛盾にCさんは悩まされたのです。
ところで・・、
あなたにもわたしにも「お金」は必要です。
誰もがお金を欲しますが、
大なり小なり、
お金に対して
ある種の『納得感』を求めます。
??
例えば、
このお金は自分で仕事をして得た金銭であり、
それによって自ら生活しているという「自尊心」を求めたりします。
あるいは、
自分が無理なく扱える「お金の量」と、
手元にあるお金の「大きさ」が
「そんなにバランス悪くはない。」という平衡感覚も無意識に求めたりします。
要するに・・
そこそこ健康で、
そこそこ平穏な暮らしが出来て、
趣味も持っていて、
自分の周りの人もハッピーで・・・、
そこそこのお金が手元にある。
こういう客観状況を伴ってこそ、
お金に対する『納得感』が得られるのではないでしょうか。
ところがCさんの場合は
最初から、
経済的な豊かさに溢れていました。
(そして、そのお金は、
Cさんのご両親が稼いだものでした)
たとえCさん自身が何かを成し遂げても、
それはCさんの才覚ではなく、
『Cさんの恵まれた環境がそうさせるのだ』と、意地の悪い人は解釈するかもしれません。
お金の存在が重しになって、
Cさん自身は、
自分で何かをやり遂げたという実感を、
きわめて持ちにくくなっていたのです。
これは不幸なことでしょう。
私たちはよく、
ふつうの家なんかじゃなく、
お金持ちの家に生まれていればなあ・・と夢想します。
しかし幼年期から
過度に金銭的に恵まれるというのも、なかなかに難しいものです。
あなたとお金の「関係」について、
成長の物語が描きづらくなるためです。
虫とり小僧さんがこんなツイートをされています。
「自分と同じ苦労をさせたくない」と親が子供を過剰に守り、問題を取り除き、レールを準備して能力以上の期待をかけることで、子供が弱くなり、自分で問題を解決する力を失い、期待のプレッシャーに押しつぶされてしまうパターンは珍しくない。親は良かれと思ってやっているだけに切ない。
— 虫とり小僧 (@mushitori) December 20, 2020
親御さんとしては、
お子さんとお金の
健全な『成長物語』が描けるよう、
意識して遠ざけてあげる
なるだけ「不足」の状況を作り出す
子どもの立場は「別物」と感じさせる工夫を凝らす
などの、
さまざまな『仕掛け』を
意図的に実行する胆力が求められます。
もちろん、
これは簡単なことではありません。
「ある」ものを「ない」と意識付けることなのですから。
カテゴリ:お金の摩訶不思議