パーソナルファイナンス - 死 = 山を何度も登る
2023年4月17日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
果たして世の中に『絶対なこと』ってあるのでしょうか。
わたしは、ひとつだけあると思っています。
それは「死」です。
誰でもいずれ「死」を迎えます。
それは生き物としての宿命です。
極言すれば、最終の到点「死」が待っているから、「生」は意味をなすのではないでしょうか。
俗世での地位、経済力、名声に関わらず、
「死」は誰にも平等に訪れます。
だから崇高なのです。
むかしは戦争や疫病や災害のため、
今よりも生きることがずっと苛酷でした。
「死」は今よりずっと身近にあり、
そこここに潜んでいました。
昔の人は今よりずっとリアルに「死」を感じていたのではないでしょうか。
それだけ「生」が充実し、豊かになった証拠だと思います。
それはもちろん良いことなのですが、
「死」が日常の枠外に追いやられた結果、私たちの「生」が、いくぶん靄がかかったようになってしまっていないでしょうか?
今パーソナルファイナンスは、
激変の時期を迎えています。
パーソナルファイナンスとは、
「人生」と「お金」の関係学を指しますが、その「人生」自体が再考を迫られているのです。
これはほんらい喜ばしいことです。
ヒトはその誕生以来、なんとか生き延びることを、そして少しでも長く生きることを追い求めてきたわけですから。
しかし、です。
私たちは長くなった人生時間を、
なんとなく過ごし、
流れゆく時を無為に眺めているという側面を、どこかで持ってはいないでしょうか?
(「生」にあぐらをかいている自分がいる?)
人生時間が長くなったからこそ、
本当はその「長さ」ではなく
「充実度=中身」が重要になるはずなのです。
邱永漢さんのことばに次のようなものがあります。
手っ取り早く言えば、棺桶に蓋をした時に、
「いい人生でしたねえ」と言われるために、
一生を賭けているようなものである。
生き生きと充実した「生」をまっとうすることは、なかなかに難しい・・。
たとえばお仕事です。
新卒で会社に入社 → 定年退職。
このような一回の「大きな山」を前提にすると、ひとつの山を克服することが人生の一大目的になってしまいます。
結果、その後の膨大な時間 = 老後の生活を、
空虚に過ごす可能性が出てきてしまうのでは?
むしろ最初から、
「大きな山」が2回、3回はあるだろう、
そして「山」は隆起したり崩れたりすることがある・・、と思っておいたほうが無難なのでは?
(仕事だけではありません。)
長くなる人生では、価値観が入れ換わり、住む場所も何度か入れ替わり、購入する家も二度、三度と経て、もしかするとパートナーも替わるかもしれません・・。
「お金の管理」そのものより、あなたの「人生」のマネジメントのほうです。
人生という物語の作り手は?
あなた自身ですね。
派手な物語にしろ、地味な物語にしろ、もっと深く味わえるものに出来るかもしれません。慌てる必要はありません。あなたが望むものをゆっくり(じっくり)深掘りしていけばよいのです。
物語のシナリオは、明日にも、(本人次第で)書き換えることが可能です。
そういう意味で(わたしはたまたま55歳になりますが、)「50代」はたいへん重要だと思います。
「ひとつの山」を終えて、「次の山」を見据える時期であるためです。
人生時間が短かった世では、
家族とともに暮らす時間がほとんどでした。
ところが、生きる時間が延びることで、
「家族」と一緒に過ごす時間に比して「自分」と向き合う時間が延びることになります。
子供がいても、あっという間に独立してしまいますし、パートナーがいても「別れ」はいつかやってきます。
「パートナー」をおくったあとの時間も膨大になり得るのです。
最終のゴールが「死」であり、
そしてその「死」が絶対的なものであるなら、
『ライフプラン』の始まりではないでしょうか。
なかなか上手く言えないのですが、人生が長くなると、「自分ってなあに?」「で、何がしたいの?」という宿題が浮き彫りになって、その重要性が増してくるのです。
かく言うわたしも(お金と人生の関係学で云えば、)
10代は 貯金好きで嬉々として郵便局に通い、
20代は その日暮らしツケ払いでスナックに通い、
30代で 資産運用と出会って初めて未来のために「何とかしなきゃ」と思いました。
40代では 仕事で功名心が募り、
50代で ようやく身の丈を知る。という心境に近くなっています。
でも(もしかすると)
60代になって、
10代の頃の情熱が、予想外の部位で復活するかもしれません(^^)
そうなって欲しいと願う自分がどこかに居るのかも。
カテゴリ:100年ライフプラン