お金の摩訶不思議

お金は派手な帽子ですか、それとも地味な靴下ですか?

2022年11月6日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

人とお金の関わり様はさまざまです。
何が正しくて何が間違っているかは一概には言えません。

人とお金の距離感も、
一人ひとりで違っています。

 

中には・・
お金を『帽子』にしている人もいます。

??

 

具体的にいうと、
『ワタシこれくらいお金あるわよ・帽子』を被っている人のこと。

 

 

 

 

よくツイッターなどで
ご自身の資産額を公開している人がいますね。

(決してそれが良くないという意味ではないのですよ。)

 

ただ、

周りの人は
「田中さん」の顔そのものが見たいのに、

『帽子』(お金)が自己主張し過ぎて
田中さんの顔がぼんやりと霞んでしまう・・。

 

たとえば田中さんのクルマや
海外リゾートに行ったときの写真や、
田中さんの資産管理画面の「8桁や9桁の数字」が、

田中さんの『アイコン』になってしまっているような印象。

 

少し前につらおさんの
以下のブログ記事を読みました。

億り人、経済的自由を得ているのか、お金に縛られているのか

 

この中でつらおさんは、
自分の資産額や運用成績を自慢しがちな人を
ちょっと気になるタイプとして取り上げています。

 

 

「自分の資産額や運用成績を自慢しがちな人」とかけて
「人が自慢をするのはその人にとって一番誇らしいこと」と解くと,「お金が自慢」になります。

 

 

みんなに認めてもらえそう(社会的承認が満たされそう)なアピールポイントがお金の多さというのは

 

 

「お金>自分の人間的魅力」と宣言しているようにも見えてしまい,

 

 

 

自身の存在意義がお金に依存している(縛られている)ように思えるのは私だけでしょうか?

 

 

この辺りは自身の価値観の問題になるので,必ずしもこれが正解というものはないでしょうが,少しさみしくないかいと思うところです。

 

そうなのです・・。

 

お金自体が派手な『帽子』として、その人を象徴してしまうと、どこか寂しさのようなものをわたしも感じてしまいます。 あくまで個人の意見です。

 

 

 

 

 

ほんらいお金は
自分を指し示すアイコンではありません。

 

考えてもみてください。

 

たとえ目の前に3億円のお金があっても
それ自体は自分では一切動けないわけです。
意思も思想もなく、
お金そのものは価値すら体現できません。

 

 

ほんらい、

あなたが
お金に意味や価値を与えるわけです。

 

そう、
主人公は「あなた」のほう。

 

 

自身がお金という「威光」?にぶら下がって、
自分の存在を維持させているのが、お金を『帽子』にしてしまっている人ではないでしょうか

 

 

これは私見ですが、
こういうタイプの人って、

「お金」にぶら下がるだけでなく、

 

自分の肩書や
自分の人脈や
自分の出身校
どこに住んでいるか、

持っている別荘
所属している会の名前
その他あらゆるものに、ぶら下がってしまう傾向があるのでは・・。

 

 

 

 

一方、
お金を『靴下』にしている人って?

 

 

自身の暮らしの中で、
やりたいこと、
成し遂げたいこと、

仕事や 家族や 自分自身の今と将来に「忙しくて」「懸命で」、

 

 

ああ、
そういえば、○○するために200万円要るよな。という際に、

 

はじめてお金のことを思い出し、


金額を確認し、
そこから200万円お金を引き出して「使う」。

 

 

 

 

 

そういう人は、
お金と距離を保って、
お金を「従えている」といえるでしょう。

 

 

お金とは
自分の歩みを底のほうで支える「靴下」であると思うのです。

 

 

(あなたもそうだと思いますが、)
靴下のことを
見せびらかす人なんて(基本)いません。

また靴下について
2時間も3時間も自慢げに語る人もいないでしょう。

 

でも、それでいいのです。

靴下(お金)は、
あなたを足下から支え、地味に佇む存在なのですから。

カテゴリ:お金の摩訶不思議

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