マルコのお母さんは、なぜアルゼンチンに出稼ぎに行ったのか?(母をたずねて三千里秘話)
2022年11月1日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
わたしが小学生の頃、
日曜の夜の楽しみは、
フジテレビ系列で放映されていた『世界名作劇場』でした。
アニメ「母をたずねて三千里」は、
わたしにとって思い出の作品です。
(あなたは観たことがありますか?)
※ ココ、世代によって反応が分かれるでしょうw
「母をたずねて三千里」は、
イタリアのジェノバに住む
マルコという少年が、
アルゼンチンに出稼ぎに行った
お母さんにひとり会いに行くストーリーです。
ここで「問題」にしたいのは、
南米の「アルゼンチン」に出稼ぎに行ったのか?ということ。
この物語は19世紀末、
1882年に設定されています。
当時、イタリア、フランス、ドイツなどでは、産業革命の結果『人口爆発』が起こっていました。
農業もある程度近代化され、「労働人口」が余るようになっていたのです。
『次なる技術革新』はまだ興っていませんでした。
たとえば・・
「自動車」はまだ実用化されていませんし、
「電気」もまだ一般には普及していませんでした。
今となっては想像しにくいのですが、
当時、多くの子供たちは
まだ学校には行けず、年少の頃から働いていたのです。
このような『時代背景』のもと、
ヨーロッパから大量の移民が
北米、南米へと旅立っていきました・・。
マルコ少年はお母さんに会うため、
1882年に「フォルゴーレ号」という蒸気船に乗って旅立ちます。
→ リオデジャネイロ → ブエノスアイレス(アルゼンチン)
なんと長い航路でしょう・・。
しかし残念ながら、
ブエノスアイレスに居るはずのお母さんは見つからず、
マルコはアルゼンチン国内を
「北上」することになります。
(実はマルコのお母さんは病気になっていたのです・・)
当時のアルゼンチンは
農業、畜産業が盛んな国でした。
(1929年には、
世界第5位の「経済大国」に躍進することになります)
アルゼンチンが豊かになったのは、
先ほど触れたヨーロッパの『人口爆発』と関係があります。
アルゼンチンは、
ヨーロッパへの『食料供給地』として
その需要が高まっていたのです。
また、19世紀後半から「労働力不足」を補うため、
スペイン、イタリアなどから多くの移民を受け入れました。
(※ ちなみに「タンゴ」とは、
ブエノスアイレスのイタリア系移民が創り出した音楽のこと。)
そういえば、
大正から昭和にかけ、
多くの日本人が豊かさを求めて南米に『移民』しましたが、
その多くは何処に向かったのでしょう?
そう、ブラジル、です。
(ペルーやボリビアやアルゼンチンに移住された日本人も大勢います)
また、今年は
サッカーの『ワールドカップ』の年ですが、
【第1回ワールドカップ】が開催されたのはどこの国でしょう?
実はアルゼンチンの隣国
「ウルグアイ」でした。
つまり??
20世紀前半までの南米は
今よりずっと豊かであり、
アメリカと並ぶ一大フロンティア(羨望)の地だったのです。
マルコのお母さんが
はるばるアルゼンチンまで出稼ぎに行った理由はここにあります・・。
一服熟考
ところが、
栄華を誇ったアルゼンチンは
その後「工業化社会」にうまく移行できず、衰退の道を辿ります。
MSCIという『指数算出会社』が表す
世界株式の括りは大きく3つに分かれます。
〇「新興国市場」
〇「フロンティア市場」
です。
新興国市場(エマージングマーケット)という括りは1988年に誕生しますが、最初からアルゼンチンは「新興国市場」に属していました。
その後、自国がデフォルトし、
フロンティア市場に格下げされたり、
また新興国市場に復帰したりを繰り返します。
そして2021年、
MSCIはアルゼンチンを
「新興国市場」から「スタンドアローン市場」に格下げしました。
資本移動に規制があって流動性が低く孤立してしまっている市場 を指します。
およそ100年超の、栄枯盛衰です。
世の中は今、大きく動いています。
『歴史家』としての視点を持つことが大切になるでしょう。
1.ひとつひとつの国は、
栄えたり衰えたりを繰り返す。
2.その順序や時期は、
誰にも正確には分からない。
だから世界中に『広く・浅く』投資を行うわけです。