FIREは自己表現
2022年9月19日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
わたしは基本、FIRE肯定派です。
FIREを目指す人の投資実践には
ある「特徴」があると思います。
それは・・・、
投資そのものも、
『手段』と見なしている点です。
FIREの人にとっては
己のライフスタイルを実現するために、
『手段』として
投資が存在するだけなのです。
自身との相性も考慮に入れ、
ひたすら効果的に
あくまで自己実現のために、
「投資」を続けるわけです。
昨今のFIRE現象によって、
己のライフスタイルを実現するために『投資』は存在する。という、大多数の人にとっての「投資の本質」が浮かび上がったことをわたしは嬉しく思います。
また、わたしが思うFIREの人とは、
(世間一般より)より狭い印象になります。
『自己』をしっかり持つ人です。
より具体的に言えば、
「会社勤め」を続けることで、
その『自己』が歪み、
それを正常に保ち続けるのが
「つらい」と感じる人がFIREするわけです。
したがってリタイアというよりは、
ほんらいの自分、
会社(組織)から、自分(個人)への回帰を目指す人なのでしょう。
一部の識者の方が言われる、
FIREする → 社会との接点がなくなる → 退屈になり、精神的に老いる(=承認欲求が満たされなくなる)というのは、
社会と関わる = 確固とした職業を持つ。
わたしが具像するFIREの人は、
会社勤めは辞めるけれど、
組織や、
それに付随するコミュニティからも離れるけれど、
ユニークな肩書き(個性)を持ち、
SNS等を通じて、
『社会』と関わりを持ち続ける人です。
いや、もしかすると、
会社勤めの時よりもかえって柔軟に、
広い視座から(己の専門分野を活用しながら)情報発信ができる。
肩の力が抜けた分、
彼/彼女が発する言葉は普遍性を帯び、
それがSNSを通じて多くの人の共感を呼び、
最終的にはマネタイズにつながったりする・・。
本名□□□よりも、
自身が付けたハンドルネームで世の中と向き合う。
これは私見ですが、
誰を評価し、
誰を信じるのかという『基軸』が、
ここ10年ほどで大きく変容しているとわたしは感じます。
端的にいえば、
組織(会社)より、個人なのです。
それもエッジの効いた個人です。
先日見つけた
ちきりんさんのツイートはとても印象的でした。
いまだに日本の親の大半が、自分の子供に「安定した会社に入ってほしい」「安定した職業についてほしい」と思ってる。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) September 18, 2022
なので、子供たちは「変化しない、安定した職業や会社」を目指し、安定した会社の中で、どんどん世界の変化から取り残される。
大きな安定した会社とは、
世の中の『縮図』です。
それは「既成の知の集合」であり、頻繁に後ろを振り返りながら「漸進」するのみです。
自己を真摯に見つめる個人はそこに「居心地の悪さ」を感じてしまうのです。(もちろん「居心地の良さ」を感じる個人も大勢いますが。。)
エッジが効いた個人の言動は、
世の中の『先行指数』です。
そして既成の集合である会社(組織)は、立派な『遅行指数』となり得ます。
わたしは、
たまたまこの10年ほど
マーケットが好調だったからFIREの人が多数輩出された。という考え方には異を唱えます。
なかなか進まない世の中に、
個人がNO!という意思を示している、時代的現象なのです。
でもですよ、オモテを向いた会社を辞め、
そして組織を離れて
生活にハリを持たせることって可能なのでしょうか?
わたしは可能だと思います。
むしろ、会社を辞め、
経済的自立に責任をもちながら、
「個」として生きる決断をしたからこそ、
『生きるハリ』を持てるのだとわたしは思います。
資産の『取り崩し期』を早める行為に過ぎません。
定率取り崩しを、
トータル資産から年イチで実施し、
安全:リスク資産の比率を『復元』し続ければ、資産を長く持たせることは可能です。
(逆に言えば、
FIRE後の「己のビジョン」を持たず、
ただ今の仕事が嫌だから、
会社勤めから解放されたいからという理由でFIREしようとする人は、わたしの中ではFIREの人ではありません。)
カテゴリ:100年ライフプラン