お金の摩訶不思議

商売(しょうばい)、投資(とうし)どちらも卑しい?

2022年5月10日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

商売(しょうばい)。

あなたはこの言葉を聞いてどんな印象を抱きますか?

ちょっとあざとい、
ずる賢いようなイメージを持ってしまいませんか?

 

 

日本人は お金を儲ける(=商売)に対して、
今もどこかで
「後ろめたさ」を抱いているのでは・・?

これって文化慣習的なものです。

 

 

 

 

たとえばここにガラス吹きの職人さんがいるとします。
彼は前のめりになりながらこう言います。

 

「この仕事は金儲けなんかじゃない、誇りでやってるんだ!」

 

この、『お金儲け』ではなく、
○○○で仕事をしてるんだ!

という言い方に、
美徳のようなものを見出す価値観が、私たちの中にはあります。

 

 

逆に
商売人 = 金儲けを全面に押し出す。
と捉えると、

どこか浅はかさを感じてしまう・・

 

 

 

 

「投資」という行いの
後ろ暗いところも、

商売(しょうばい)という言葉から連想される「卑しさ」や「がめつさ」と、結びついているのではないでしょうか?

 

うまく立ち回ってあぶく銭を稼ぐ = 投資。
という古典的なイメージです。

 

 

当たり前ですが『商売』は真面目な行為です。

 

商売(しょうばい)をして、
お客さんにモノ・サービスを提供し、
それを買ってもらうためには、たいへんな努力が必要です。

お客さんに「価値」を提供できなければ、モノは買ってもらえないわけで。

 

 

 

 

お客さんのほうは、
「あれ?これは価値ないよ。」と感じれば、

二度とあなたからモノを買ってくれませんから、

まさに手に汗握る『攻防』を日々繰り返しているのです。

 

 

また、モノやサービスを買っていただいて受け取る「代金」は、「価値」の提供に対する対価です。

 

儲ける、利益を得るということは「悪」ではなく、
適正な利益はむしろ「立派な善」です。

 

ここ、頷けますか? ↑

 

なぜなら適正な利益を得ないと、
お客さんに対して、
継続してモノ・サービスの提供が出来ないためです。

 

 

 

 

さまざまな方面から
小さな商売(しょうばい)がたくさん興り、
やがてその中の一部が立派なビジネスとなり、

それがそれなりの大きさの会社となって、

多くの人の勤め先になったり、
それなりの税金を納めたり、
たくさんの人の給与を支払う存在になります。

 

あなたが今勤めている会社も、
立派な社会の「公器」なのです。

 

翻って投資(とうし)もしごく真面目な行為でしょう。

 

誰かが継続的に「リスクマネー」を供しないと、
誰もお金を借りられませんし、
誰もビジネスのための設備投資が出来ません。
また、リスク資産を果敢に買ったり売ったりという「欲の行動」がないと、資産の適切な値付けが為されません・・。

 

 

世の中が次の一歩を踏み出すための、
「燃料」を提供するのが投資家の役割なのです。

 

 

 

 

もちろん最初の動機は、
あなたが・お金を・儲けたいという利己心です。

 

しかし、そもそもが
儲かるかどうかも全く保証されていない世界ですから
(損失が発生しても「自己責任」)、

こちらも日々、手に汗握る『攻防』の繰り返しですww

 

 

儲けや利益が醸し出す、
旧来的な価値観から抜け出すのは日本人の課題だと思います。

 

でも、です。

 

商売(しょうばい)をしている両親のもとで育った子供は、商売の何たるかを自然に学びます。

同様に投資(とうし)をしている両親のもとで育った子供も、投資の何たるかを自然に学ぶことになります。

新たなカルチャーが醸成されるのは「時間」の問題なのです。

カテゴリ:お金の摩訶不思議

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