環境がヒトを作り、環境がヒトを変える その2)
2022年4月30日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
パート1の続きです。
20代の時、不動産会社に入って
何とか社会復帰したわたしですが、
最初は電話を取るにも勇気が要りました。
「知らない人」と「会話する」のが
一大ハードルだったのです(汗)
なので、
先日観たオードリーさんの「こちら」の動画の中で
女の人の前で食事が出来ない男性の悩みというのが、
わたしには痛いほど分かるのです。。
こころの癌(がん)です。
働き始めて1年ほど経って、
なんとか普通にコミュニケーションも取れるようになり、
かつていた「世間」に
復帰出来たという感覚になっていました。
そんなある日のこと、
突然、転機が訪れます。
営業の人が一人辞めることになり、
「カンくん。来月から営業、頼むわ。」と言われたのです。
えーー、
営業(えいぎょう)!??
聞いてないんですけど。
けっこう事務の仕事好きになりましたけど。
営業とは
外に出ていろいろ活動して、仕事を取ってくる、あれです。
わたしの場合は、
26歳のとき
不動産会社の「営業マン」になったことでしょう。
営業マンとは
自分という人間を武器にして、
商行為を円滑に運ぼうとする人のこと。
いってみれば自身が『販促ツール』です。
(はっきり言って)
人に「顔」と「名前」を覚えてもらってなんぼ。
人に好かれて「なんぼ」です。
※注 まだ世の中にインターネットは広まっていません。
営業マンという職種は
「社交的」でないといけないわけです。
こんな自分が営業マンになる・・
当時のわたしにとっては(それは)『一大事件』でした。
もう、
清水の舞台から飛び降りる『覚悟』が必要だったのです。
不動産会社の社長には恩義があります。
明らかに社会不適合者の自分を拾ってくれた有難み・・
わたしは
半ば強制的に、
自分を「変えなければいけない。」
そういう立場に追い込まれました。
先ほどのオードリーさんの番組の動画、こちらになるのですが、
思いっ切り大きく
口を限界まで開けて、
彼は自分のコンプレックスを食べ尽くそうとしています・・
(笑いながら(そして)泣いてしまう動画です。。)
当時のわたしはよく
サクセスストーリー系の漫画を読みました。
〇 我を忘れて
〇 誰かになり切る
(そうしないと「営業する」に対する恐怖心で、押しつぶされそうだったのです)
飛び込み営業をするときも、
事前にセリフを書いて、
その通り練習して、
その「役」を演じるみたいな感覚で行動していました。
(飛び込み営業を始めたばかりの頃は
文字通り声が震えていましたし・・(汗)
なんといいますか、
自分に催眠術をかけながら、
「営業活動」にのめり込んでいったのです。
ほんとうにいろいろなことをしました。
○ 一般宅への飛び込み営業
○ 土地の所有者への電話&訪問営業
○ 再開発、区画整理予定地への飛び込み営業
○ マンションへのチラシ撒き
○ 住宅メーカーさんへのルート営業などなど。
(※ 住宅メーカーさんは、
土地を探している「潜在顧客」をたくさん抱えているため。)
もちろん、
こんなに懸命にやらないといけなくなったのは、
営業職となって、
わたしの『給与体系』が変わったからです。
⇒ 最低限の経費は除いて
わたしは『完全歩合制』の報酬体系に移行しました。
(要は頑張って「稼ぐ」しかなかったわけです)
最初のころは何をやっても上手く行かず、
タイヘンなことの連続で、
何度も「辞めてしまおうかな・・」と思いました。
ただ、営業の仕事を細々続けるうちに、
自分でも気づいていなかった
『もうひとりの自分』を発見することになります。
それは、
なんと云いますか・・・、
ポジティブな自分、でしたww
続く・・)
カテゴリ:100年ライフプラン