世界投資的紀行

欧州の若者3人とわたし(アジア放浪の思い出)

2021年9月27日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

20代前半にインドを旅した際、
パキスタン国境近くの町「ジャイサルメール」に足を伸ばしました。

ラジャースターン地方と呼ばれるこの地は、
砂漠の真ん中にあり、歴史的にイスラム教徒が多いことで有名です。

毎朝散歩がてら
城壁のまわりにあるバザールに行き、
チャイを飲むのが習慣になりました。

 

 

ここでわたしは3泊4日の
「キャメル・サファリ」に参加しました。

ラクダに乗って砂漠を横断するのですが、
このツアーの途中でわたしは
3人の若者と知り合うことになります。

(もちろん当時はわたしも若者だったのですが・・(笑)

 

残念ながら若者たちの名前は
失念してしまいました・・。仮に、

イギリス人の彼を ジョン としましょう。
ドイツ人の彼を ガーゼン としましょう。
オランダ人の彼を ビリー としましょう。

イギリス人のジョンは
インドのさまざまな土地の習慣について
うつむき加減に話をします。

 

「シムラ-という避暑地に行ったら、
現地の人が英語で賛美歌を歌っているんだ。
あれはとても感動的なシーンだったよ・・」

 

おいおい、誰がインド人に
英語をしゃべらせるような「状況」を作ったんだ!

 

また、このツアーではガイドが
三度の食事を作ってくれたのですが、

ジョンはまたしても、

 

「おい、カン。日本ではそうやって
手で食事をする習慣があるのか?」

 

と聞くではありませんか。

(わたしは単に現地の習慣に従っているだけ・・)

 

蛇足になりますが、
同じホテルに滞在していたイタリア人の女性に、

「中国で話すことばと日本で話すことばは違うの・・?」
と訊かれたこともありました。

「えっ!?」

西に住んでいる人は、
東に住んでいる人のことを知らないんだ・・。

わたしの中で欧州人に対する
思慮深くてインテリという「幻想」は儚く消え失せたのです。

 

 

一方、ドイツ人のガーゼンは、
繊細でおとなしい男でした。
働きながら大学に通っていると言っていました。

ガーゼンは、わたしとオランダ人のビリーが
意見を言い合うのを聞きながら、

 

「んー、カンの言うことにも一理あると思うよ・・」

 

と客観的な意見を言ってくれたりもしました。
(わたしと同じく眼鏡をかけていたのを覚えています。)

 

いちばん若者らしい若者と言えば、
やはりビリーだったような気がします。

勤めていた会社をやめ、
いつまでと期限を決めずに旅に出たと言っていました。

 

「だけどぼくは故郷に恋人がいるから・・。
いつかはオランダに帰ることになると思うんだ」

 

ビリーはどんなことにも好奇心を持っている男でした。

 

 

わたしの独断と偏見で申し上げると、
欧州の中でもっともフレンドリーなのはスイス人とオランダ人です。

どちらも小さな国でかつ資源がないという「共通項」があります。

そのことをビリーに言うと、

 

「そうだな・・。
オランダは世界と貿易を行うことで発展してきた国だからね。いろんな国の人とフレンドリーに付き合うことが自然に身についたんじゃないかな」

 

と言っていました。

 

ツアーの最後の夜、滞在していた村で
ガイドが蒸留酒を調達してくれて、皆で酒盛りをしました。

(ガイドはイスラム教徒なのにお酒をがぶがぶ飲んでいました(^^)

満天の星を眺めながらジョンが、
「なあ、カン。日本の女性は従順でやさしくてきれいなんだろ・・」
と訊いてきます。

ガーゼンは
「自分の故郷ではこんな星空は見たことがない」
と言っていました。

照りつける太陽と、満天の星空と、
どこまでも黄砂がたなびく風景は未だ忘れることがありません。

 

 

全員が20代前半で
あれから故郷に帰って、
仕事を始めて(または復帰して)結婚して子どもが出来て、

「いったい彼らはどんな人生を送っているのだろう」と、今でも時々思うことがあります。

欧州の年金制度は
日本と同様保守的で
1990年代前半では『確定拠出型の年金制度』はなく、

コツコツ貯蓄を続けながら、
果たして人生のどこかで「投資」と出会うことはあったのだろうか・・とも夢想します。

 

もしシンプルな投資に遭遇していれば、
意外とジョンあたりが
いちばん投資が長続きしているかもしれないとわたしは思ったりします。

わたしはその時
わたしの『ルール』に従って
3人の連絡先は聞かずじまいでした・・。

でも旅の記憶は色褪せることがありません。

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