寄付と投資と、スプーン一杯の承認欲求と。
2021年7月23日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
投資家にとって『寄付』という行為は縁遠いように思えます。
まず、イメージが違いますね。
「投資」は儲かるか損をするか。
ひたすら自己の利益を求めて、
ギラギラ貪欲な印象があります。
いっぽうの「寄付」は?
第三者にお金を供することです。
誰かに何かを役立てて欲しいという
利他の気持ちを具現化する行為であり、清々しいイメージがあります。
先日、ひふみ投信の藤野英人さんが
困窮する若者を支援する認定NPO法人
DXPの今井紀明さんと対談されているYouTubeを聴きました。
(音声のみなので、大事な言葉がすーっと頭の中に入ってきます。)
対談の中で、
藤野英人さんが「投資文化」と「寄付文化」について
独自の考えを語っておられました。
藤野さんの発言の中に、
〇(どちらも)世の中を変える原動力になる。
〇(どちらも)人を通じて社会を変えていくものである。
という言葉がありました。
あなたはどう感じられますか?
先ほど、
寄付は第三者にお金を供すること。
誰かに何かを役立てて欲しいという気持ちを具現化する行為。
と述べましたが、
これって、
「投資」の根底部分と共通すると思いませんか?
儲け・損失の部分を大きく取り上げられすぎだと思います。
ちゃんとした人がきちんと行うちょっと堅苦しい行為として伝わりすぎ。
~もっと肩の力を抜いてもよいのでは?~
『寄付』って
フツーの人がベタな気持ちで楽しくやってよいのです。
たとえばですが、
お笑い芸人のEXITのお二人が、
「いやぁ俺たち
子宮頸がんの啓蒙のために寄付してるんすよ。」とおっしゃっても、
別にヘンな光景ではありませんよね。
『投資』も今では
フツーの人が肩ひじ張らずにコツコツやっていますし。
わたしは大きく捉えれば、
寄付は、金銭的に確定した社会貢献行為であると考えます。
投資は己の利益を求めると同時に、
社会にコミットする行為でもあるのです。
寄付も(実は)利他の心のみではなく、
己に対するリターンも欲する行為だと思います。
「誰かの役に立っているんだ。」という自己承認の発露。
上記対談内での
藤野英人さんの主張は明快です。
(実は)寄付と投資は繋がっているから、
寄付文化を盛り上げないと、投資家は増えていかない。
たしかに・・・。
つまり、
投資という行為にも、
あなた自身の
「誰かの役に立っているのかも・・」という自己承認の気持ちが隠されているわけです。
寄付と投資は親せき。
根底でつながっています。
これらの行動(アクション)を取れること自体、
人として明らかに高次な行為だとわたしは思います。
カテゴリ:投資の発想法