インデックス投資全般

平均こそが「投資の大衆化」をもたらした?(インデックス投資の功績)

2021年5月6日

こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。

本日はちゅり男さんのブログ記事から。

 

 

株式投資でありがたいのは、
VTやeMAXIS Slim全世界株式(オール・カントリー)を購入すればそれだけで初心者であっても平均点が確保できる点です。

 

これは(まさに)灯台下暗しで、
よく考えてみるとスゴイことです。

勉強の成績でも
お仕事の評価でも、
『平均』にたどり着くまでって、けっこうタイヘンなこと。

ギターの練習でも
スポーツでも
着物の着つけでも、

『平均並み』にこなせるようになる。→ もう立派に褒められるべきことです。

 

ところがインデックス投資では
ちゅり男さんが言われる通り、
誰でも平均程度のリターンが獲得できます。

(平均にたどり着くまで10コース履修とかありません。)

 

〇 ただし、ある程度の期間
投資対象を「がまん強く」持ち続ける必要があります。
〇 また、注意点としては
たとえばマイナス29%くらいに下落する、
損失の『平均』も獲得してしまう場合もあり。

 

 

他方、インデックス投資はわたしたち投資家に、
もうひとつ違った視点を与えてくれています。

それは投資を
『勝つ・負ける』という二元論で捉えるのではなく、

『全体の中でどの辺り?』という
「大きな集合図」で捉えるきっかけを与えてくれた点です。

 

インデックス投資が登場する前は、
すべての投資は「アクティブ」でした。

したがって『平均』と比べて・・
という視点は欠いていたわけです。

ココ、意外と重要で
真ん中あたりと比べて・・という視点がないと、

自分の投資成績がどれくらい良いのか、
どれくらい悪いのかという『相対評価』が出来ないわけです。

 

かくして
あなたもわたしも、
自分の投資を『絶対評価』するほかありません!

儲かったか・損したか。
上手くいったか・失敗したか。

まるで個別のブースで
自分の感覚(主観)で戦うゲームのようです。

大事なことは「プラスの数字」になること。
プラスの数字なら、それが大きな数字になることで、投資のフィールド全体を俯瞰することもなく、ひたすら他者を出し抜こうとするわけです。

 

(もし比較材料があるとすれば、
身近な○○さんに比べて『勝ったか負けたか?』みたいな、まさにマウントを取るような感覚です。)

 

 

それに対して先述した、
『全体の中でどの辺り?』という視点は、
まさに「平均」という概念が宿ってはじめて得られるもの。

それはイメージするなら、
投資という『マラソン』を走るようなものです。

あなたがインデックス投資を実践しようが
アクティブ投資を実行しようが、

投資というマラソンには(自分以外に)たくさんの「走者」がいます。

 

あなたは『平均』というアイデアを持つことで、
「自分の走り位置はどの辺りだろう?」という客観した視点を持つことが出来るのです。

 

 

(長―く続く、マラソン走者の列を、
上空から眺めていると想像してみてください。)

 

 

ずっと前を見ると、
自分よりスゴイ成績を上げている人もいます。

また後ろを振り返れば、
目も当てられないほどひどい成績の人もいるわけです。

それが投資というフィールドの実態。

 

長期的に見て、
そのマラソンが前に進んでいく(=プラスのリターンを獲得できる)と踏めば、
―もちろん、時と場合によって、
大きな変動に見舞われ、大きな下落に遭遇することもあり。―
「自分の走り位置」=「順位」が真ん中あたりでも、
「まあ、それくらいでいいんじゃない?」という感覚になる人が一定割合いるはずです。

 

 

そのような需要を創出したところが、
インデックス投資のスゴいところなのです。

多少大げさな物言いかもしれませんが、
後年誰かが「投資100年の歴史」という大著を著すときには、

インデックス投資は
『投資の大衆化に寄与した。』と記されることでしょう。

 

「ワタシにも出来るかも・・」と、
何百、何千万人の人に思わせた功績は、決して過小評価されるべきではありません。

個人の資産運用で大切なことは、
投資というマラソンを早く走ることではなく、
(平均であったとしても)それを走り切るということなのです。

カテゴリ:インデックス投資全般

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