投資とミニマリズムと私
2021年3月22日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
誰にでも収集癖はあると思います。
モノや道具をコレクションしたいと願うピュアな気持ちです。
わたしは小学生の頃、
テストの答案用紙や、
図画工作の時間で描いた絵や、
消しゴムカーやお菓子の「おまけ」で付いていた小さなプラスチックの玩具や、
その他さまざまなものを
大きなブリキ箱の中に入れていました。
今は?
もう・ないですw
妻と話し合って、
東京から徳島に引っ越すときも
ずいぶんモノを処分したのですが、
今、徳島に住んでみて、
「ああ、あれは要らない」
「これも捨てようかなぁ・・」と独り言ちている自分がいます。
要らないモノにサヨナラして
空間的にスッキリする(余白が生まれる)ことで、どこか充足した気分になる。
「これってどうしてでしょう?」
きっと、
本当に必要と思えるモノ(=価値を見出せるモノ)だけに囲まれることになるからでは・・。
『資産運用的』に言ってみますね。
やるべきことを・過不足なくやっている感覚になれるわけです。
そうするとストレスが生まれにくく、
同じ姿勢で
長く投資を続けやすくなります。
(これを『シンプル投資』と名付けましょう!)
『シンプルライフ』の中の
小さな小さな一部分として、
「シンプル投資」も成り立つとわたしは考えています。
さて、
自分が納得できるモノだけを持っているのは、
あなたが完全に『モノ』(道具・製品・サービス)をコントロール出来ている状態です。
これだとストレスがわきにくいですね。
モノが多ければ多いほど、それらのモノを意識したり、それらと関わる時間が生まれてしまいます。
それだけ、時間とエネルギーを消費させられるわけです。
本当に必要なモノだけを所有しているとは?
まさに「選択し、集中ができる状態」です。
次の岸に立ち寄るように自然と、
「自分にとっての、本当のNeedやWantsはなんだろう?」と考え始めるようになるのです。
ワタシって何を求めているの?
この命題は、
あなたの周りがスッキリしていないとなかなか浮かんできません。
NightWalkerさんがこちらの記事で次のようにおっしゃっています。
(記事の主旨とは違うところでの引用でごめんなさい。)
私も、サラリーマンに向いていなかったと
早期リタイアしてから気が付きましたが、
30年くらいはサラリーマンに向いていると思って生きてきました。
自分って何なの? いまさらモラトリアムなこんな問いかけは、一生必要なことなのかもしれません。
フム。深いお言葉です。
あなたもわたしも
自分のことって、分かっているようで分かっていない!
人生における本当のWantsを見つける「きっかけ」が掴めないまま、
平気で73歳くらいになってしまうのが、
今日の高度なテクノロジー社会の恐ろしさなのです。
時間はかくも安易に消費されてしまう!
靴、こだわりの文具、ガジェット類、
台所用品も、雑多な書類も、書籍、フィギュア、小物も、洋服、インナー類も・・
モノ的に想起される『過去』を捨てるということです。
たとえば、去年一度も着なかった緑のセーター・・
たまたま着なかっただけなのか、それとも今の自分にはもう要らないから(結果として)着なかったのか・・
そのセーターが、今とこれからの自分には必要ないと判断し、処分ができたときのあの「解放感」は、自分が歩んできたこれまでの道筋が、きれいさっぱり消えた感覚に近いものがあります。
これはあくまで私見ですが、
モノに宿る思い出は、表面的なものに過ぎないのでは?
かけがえのない『思い出』
10秒、1分程度のセピア色の動画は、
あなたの頭の中で何度も再生が可能なはずだとわたしは思うのです。
かつてのわたしもそうでしたが、
モノを重ねてそれをたまに眺める自分は『過去』に重きを置く自分です。
明日、どう過ごしていこうか?
来年、どう生きるの?と『未来に真摯に向き合う姿勢』につながります。
ミニマリズムとは、自分を探す旅の準備作業なのです。
今週、ひとつのモノを捨てられれば、
来週、さらに三つ、四つと、モノを処分したくなるかもしれません。
シンプルな生活を手に入れると、
こころも体も軽くなった感じがするのは、誇張でもなんでもないのですよ。
(さあ、今週、あなたもひとつモノを処分してみませんか?)
追記)こちらの記事でミニマリストと紹介されてちょっぴり嬉しかったですw
カテゴリ:その他・雑記