世界人口の1/2が『青春』を体感できるようになる日
2020年11月28日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
黒澤明監督の作品に
「我が青春に悔いなし」があります。
英題は No Regrets for Our Youth
『青春』は普遍的な体験のように思われますが、
なにも太古の昔から、
『青春』が存在したわけではありません。
『青春』が生まれたのは、
文字通り「豊かさ」の結果です。
ここでいう「豊かさ」とは、
例えばシマウマが群れをなして、
草をたくさん食べながら暮らしている「状態」を指すわけではありません。
「生きるって一体どういうことなんだ?」と、
朝から晩まで悶々としたり、
勝手に渓谷のほうにふらっと出奔してしまう状況を、
ゆるりと許容できるような社会の「状態」になってはじめて、
『青春』が生まれ得るわけです。
ヒトは『産業革命』によって
その種の「豊かさ」に近づいていきました。
爆発的な「人口増加」を経験し、
かつてないほど「労働生産性」が向上した結果、
「生きるってどういうことなんだ?」と朝から晩まで悶々としたり、
勝手に渓谷のほうに出奔してしまう一定割合の人を養って余りある状況を、作り出せるようになったのです。
それが『青春』の始まり・・。
アーネスト・ヘミングウェイの
『日はまた昇る』を一度読んでみてください。
90年以上も前に、行き場を失った若者たちが
パリで享楽的な日々を送る物語です。
当時のアメリカ(1920年代)は世界のGDPの半分近くを稼ぎ出す、
「超新興大国」でした。
あるいは、ジェームス・ディーンの
「理由なき反抗」を観てみてください。
(アマゾンのプライムビデオでレンタルできます)
昭和29年当時、
ナント労働者の息子(高校生)がクルマを運転して
学校に通っているのです。
「経済」というパイが巨大になり、
より多くの人たちが
「拡大した豊かさ」を享受できるようになって、
その息子さん、その娘さんたちが
モラトリアムの時間の中で、
音楽のすばらしさを知り、
友人と延々と将来の夢を語り、
誰かに恋い焦がれて、
また生きている意味の重み・軽さについて悶々と悩んだりできるのは・・
やっぱり素晴らしいこと!
今、『青春』を体感できる若者が、
ケニアでも、ナイジェリアでも、ラトビアでも、
インドネシアでもモーリシャスでも、
ウクライナでもボリビアでもベトナムでもモンゴルでも、
どんどん増えています。
しかしそれでも、
まだまだ世界は
豊かになろうとする『途上』にあるのではないでしょうか?
いつか、
世界人口の1/2が『青春』を体感できるようになる日が来れば、
全世界株式インデックスファンドの価値も、今より大きくジャンプしているはずです。
カテゴリ:世界投資的紀行