暴落の現場から、数多のバブルの歴史を覗いてみよう
2020年3月26日
こんにちは。
投資信託クリニックの カン・チュンド です。
暴落は心地の良いものではありません。
しかし、暴落と呼ばれる現象を経験すると、
ひとつメリットが生まれます。
それは、
上昇相場を冷めた視点で見られることです。
「ああ、これは上昇が続くマーケットと対(つい)なんだ」と理解します。
マーケットという所では、実は「ちょうど真ん中」というのがあまりありません。
下がる時は?・・ 下がり過ぎます。
「それってなぜなの?」
マーケットというところが、
私たち人間の「恐怖」と「欲望」の映し鏡であるためです。
ですので、
理由はなんであれ
これからも『暴落』は起きます。
その「対」として『バブル』も起こるのです。
市場が動揺する今のような時こそ、
マーケットにおいてどんなバブルが発生し、
どんなふうに崩壊したのかを知っておくことは有用だと思います。
17世紀初頭、
オランダの首都アムステルダムは
金融の一大中心地であり、株式、為替、海上保険など、
さまざまな「マーケット」が集積していました。
景気はうなぎ上りで、
株式、不動産の価格は上がり続け、
当時のオランダの人々が、
次の投資先として注目したのが「チューリップの球根」。
チューリップってもともとトルコが原産なのです。
当時のオランダ人には珍しい花で、
「富の象徴」とされ、高値で取引されるようになりました。
品種改良を重ね、たとえば
赤と白のまだら模様のチューリップは「無窮の皇帝」という名前が付き、当時最高級とされたのだそう・・。
1630年代に入ると、
チューリップの球根の値段はどんどん上昇し、
貴族、資本家だけでなく、一般市民もこぞって買い始めました。
(そのうち、居酒屋とかでも 球根の売買が行われるようになりました。)
バブルは1636年頃に頂点を迎えます。
たったひとつの球根が
一般的な生活者の年収の「5倍」相当の金額に膨れ上がります!
1637年2月まで球根の価格はグングン上がり続けます。
が、2月をピークとして価格が暴落・・。
なぜ「2月」なのか?
そろそろ、球根から「芽」が出る季節だったから。)
賢明な投資家は
球根が発芽して「商品として手放せない状態になる前」に、それまでの利益を回収しようと一気に売却に動いたのです。
それまで価格の上昇を見込んで、
小さな球根1つに莫大なお金を投資していた人たちの破産が相次ぎました。
レンブラントの絵「夜警」が世に出たのは1642年。
チューリップバブル崩壊から5年後のことです。
ヒトの頭の中は、恐怖と欲望のかたまり。
第1次世界大戦が終わり、
消費への欲求が溜まった生活者たちは、
1920年代、
自動車、ラジオ、家電製品、電話、映画などが普及する『一時代』に遭遇します。
ここから「大量生産・大量消費」が始まりました。
アメリカダウ平均は1924年から6年続けて上昇し、
市場平均はたった6年で5倍になります。
(1929年 9月3日にはダウ平均が最高値 381ドルを付けました)
ところが1929年10月、暗黒の木曜日に暴落が発生。
1930年にはいったん上昇しますが、
1932年にはまた暴落が起こります。
ダウ平均は・・ 41ドルに。
最高値からマイナス90%近くに!
ヒトは恐怖と欲望のかたまり。
本質は変わらないのです。
続く・・)
カテゴリ:経済よもやま話